久々の横山拓也、作、演出作品。Iakuでは、演出は上田一軒に任せることが常だったので、それはそれでいいのだけれども、今回、横山さんが演出することで、どんなふうに上田演出と差をつけるのか、それが楽しみだった。その結果、だが、期待通りの新鮮さで、実に面白かった。
横山さんは上田さんよりも繊細だ。だから、壊れやすい。そんな危うさが作品の力になればいいが、なかなか微妙。今回もとても綱渡りをしている。だが、そんな危うさがこの作品の魅力になったことも事実だろう。
芝居は、あえて図式的な構図を用意した。2組の話が並行して描かれる。舞台左右にはふたりの女性がいる。布を縫う(タイトル通り、「粛々と運針」している)彼女たちは終盤まで彼らのドラマに関わらない。見守るというわけでもなく、黙々と自分たちの仕事に集中しているように見える。こういう構造は、作品を損なう可能性もある。あえて感情移入させないことで緊張感を持続させる。
お話自体はどこにでもあるような話で、ありきたりで、たわいないことだけど、実は誰にとっても切実で、大切なことだ。あるきっかけから、気がつくと、彼らは相手とガチで向き合って本音を語り合う。これ以上踏み込むと、彼らの関係が壊れてしまうかもしれないくらいに。そのへんの匙加減が見事だ。
夫と妻、兄と弟という2組の全く接点がない他人同士の話が、やがて時空を超えて、お互いに干渉し合うことになる。彼らが抱える問題、夫婦は、生まれてくることになるかもしれない子供をどうするか、兄弟は、末期ガンの母親をどう看取るのか、という切実な問題、それを話すこと。このふたつの話は本来別々の場所でもドラマで、交わるはずはないものなのに、この舞台という空間でリンクしていく。
なぜ彼らは今、ここにいるのか。2つの話には最初は全く接点がない。だからこそ、このふたつが重なるとき、思いもしない感動が誘発される。生と死はつながる。ふたつは対になることも逆になることもない。独立した問題として、自然に重なっていくのが見事だ。そのとき、彼らを見守っていた布を縫うふたりの女性が全面に出てくる。見事な構成だ。だが、ポイントはそういう構図にあるのではなく、この会話劇自体がよく出来ているから、感動的なのだ。