関口尚『シグナル』

　「残念だけど、人と人とは分かり合えないもんなんだよ。おれはそう思う」「だけどね、ルカ。この人とだけはわかり合いたいって思ったら、必死に心の手を伸ばすんだよ。」

　この言葉が身に沁みる。とても単純だからこそ真実を誠実に伝えている。ルカに対して恵介が言ったこの言葉はとても大切なことだ。

　この小説はありえないような男の行動が、周りをいかに苦しめていたかということを描く後半部分で全体のバランスを崩している。前半ルカと恵介が銀映館の映写室で出会い、少しずつルカが心を開いていくというドラマの心地よさが、悪意の塊りのようなレイジの登場によって崩されていく。もちろんこの男のドラマがこの小説の根底にあるのだから、彼を避けて話を紡ぐことは不可能だったろうことは解る。しかし、この男の話を描くことでこの小説の心地よさがありきたりな話の域に堕してしまうことも事実だろう。

　その結果よく作られたお話というレベルに留まってしまう。しかし、優しさを描くためにはこういう痛みを避けて通るわけにはいかない。

　映画と映画館を舞台に、この小説は、作り物でしかない映画が人生すら凌駕する瞬間をひとつのお話としてしっかり見せてくれる。

　映画は現実の人生ではない。しかし、人生以上に愛しい映画はこの世の中にたくさんある。これは２０歳過ぎの男女が自分たちの人生をスタートさせていくまでの物語だ。３年間映画館に引き籠った少女と、数ヶ月間彼女を見守り続けた少年が、ここを出て行くまでの旅立ちのお話だ。僕はこれをとても気持ちよく読むことが出来た。