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映画・演劇のレビュー

『人の砂漠』

2010-12-06 21:31:55 | 映画
 今なぜ、沢木耕太郎が昔20代で書いたノンフィクションを、今20代の若い作家たちが映画化しようと思ったのだろうか。昨年、伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』を映画化した東京芸大が贈る劇場用長編オムニバスの第2作である。前回同様4人の学生監督が、1本の映画を競作するというスタイルだ。

 この重くて暗い70年代の現実を今の視点から映画化することを通して、変わることのない「現代人」の孤独の深淵を切り取ろうとする。筒井ともみと井土紀州が脚本監修としてクレジットされている。彼らが自ら台本を書いたなら、この映画はもっと刺激的なものになったのではないか、と思われる。だが、それはしない。あくまでも、学生がすべてにおいてリードするというスタンスを崩さない。そのためには、作品自体がレベルダウンしてもかまわないという覚悟だ。さすが教育の一環としての映画作りだ。だが、これはプロの俳優を使い、商業用映画として企画された映画ではないか。これらの作品を手がけた監督たちに更なる刺激を与えるためにも、優れた脚本を提示してあげるべきではないか。そんな気もするのだが。

 台本の弱さが作品の方向性を決めかねているような気がしたのだ。この話を通して一体どこに向かっていこうとするのか、それが見えてこないまま30分の映画は終わってしまう。確かに限られた条件の中で、監督以下スタッフはよく頑張っている、と思う。それだけに脚本の弱さが残念でならない。設計図に破綻があるものから、優れた作品は生まれない。しかも、それがとても微妙な匙加減なのだからなおさらである。

 各エピソードの4人の主人公たちが、この自分の置かれた状況の中で、自分が引き起こした行為を通して何を見つめていたのかが、もう少し明確に伝わらなくては、彼らの孤独は見えてこない。この不毛の世界の中で、それでも自分らしく生きようとした彼らの姿が、原作では「沢木耕太郎」という若者の視点から伝わってきたから感動的だった。それと同じことがこの映画に対しても言えたならよかったのだが、作り手の押しの弱さゆえ、曖昧なまま作品が閉じてしまうことになった。力作であるだけに、それってちょっと悔しくはないか。

 特に第1話『屑の世界』の石橋蓮司のキャラクター造型はおもしろかっただけに、彼が抱えるものが描ききれないまま中途半端に終わるのはもったいない。これだけで1本の長編にして貰いたかったくらいだ。他のエピソードは視点が細切れで、ぶれが出来、まとまりにに欠ける。たった30分ではあれもこれもを描くことは出来ない。欲張りすぎて大切なものが描けないのでは本末転倒だ。


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