この重くて暗い映画をアンジェイ・ワイダはどうしても作りたいと思ったのだろう。これを作らないことには死んでも死にきれない。祖国があの戦争で失ったもの。その痛み。ずっとひきずりながら生きてきた歳月。ポーランドがポーランド自身として、生きていくための歴史をこの1本の映画を通して見つめようとする。渾身の力作である。
ソ連の支配下で生きてきた50年に及ぶ社会主義国としての歴史は、戦後ではなく戦争の続きでしかなかったのかもしれない。このカティンの森で起きた1万人以上の兵士たちの虐殺を歴史の闇に葬ってしまおうとしたソ連のやり方に対して、ノーと言うことも出来ず生きてきた日々は屈辱の歴史だ。この映画を見るまで、そんな事件があったことすら僕は知らなかった。この映画をよくあるただの戦争としか、認識していなかった自分が情けない。
と、いうか「よくあるただの戦争映画」ってなんだ? そんなものどこにもありはしない。戦争の傷跡を描く映画にルーティーンワークなんてない。どうしても伝えたいことがそこにあり、やむにやまれぬ想いから作られたものばかりのはずだ。それをルーティーンワークで見てしまうのは作り手に対する冒涜でしかない。だけど、安直な戦争映画も多数存在するのも事実だが。
この映画がそれらと一線を画することは最初からわかりきっていた。老匠ワイダが父の世代の話を記憶が風化してしまう前にきちんとした形で残しておこうと思い、この重厚な映画を(この作り方しかできない!)懇切丁寧に作り上げた。
これはとても美しく悲しい映画である。何を信じていいのかもわからない混沌の中で、生き延びるため、プライドを賭けて、ひるむことなく、自分の正しさを信じて生きた人々の姿を描く群像劇だ。ドイツとソ連に挟み撃ちにされ、自由を失い、大切な人も失う。それでも、生きなくてはならない。祖国の悲劇の歴史の先に今の自分たちがいる。具体的にソ連のやったことを糾弾することだけが、目的では断じてない。もっと大きな祈りのようなものを描こうとした魂の作品である。ここから目をそらしてはならない。
ソ連の支配下で生きてきた50年に及ぶ社会主義国としての歴史は、戦後ではなく戦争の続きでしかなかったのかもしれない。このカティンの森で起きた1万人以上の兵士たちの虐殺を歴史の闇に葬ってしまおうとしたソ連のやり方に対して、ノーと言うことも出来ず生きてきた日々は屈辱の歴史だ。この映画を見るまで、そんな事件があったことすら僕は知らなかった。この映画をよくあるただの戦争としか、認識していなかった自分が情けない。
と、いうか「よくあるただの戦争映画」ってなんだ? そんなものどこにもありはしない。戦争の傷跡を描く映画にルーティーンワークなんてない。どうしても伝えたいことがそこにあり、やむにやまれぬ想いから作られたものばかりのはずだ。それをルーティーンワークで見てしまうのは作り手に対する冒涜でしかない。だけど、安直な戦争映画も多数存在するのも事実だが。
この映画がそれらと一線を画することは最初からわかりきっていた。老匠ワイダが父の世代の話を記憶が風化してしまう前にきちんとした形で残しておこうと思い、この重厚な映画を(この作り方しかできない!)懇切丁寧に作り上げた。
これはとても美しく悲しい映画である。何を信じていいのかもわからない混沌の中で、生き延びるため、プライドを賭けて、ひるむことなく、自分の正しさを信じて生きた人々の姿を描く群像劇だ。ドイツとソ連に挟み撃ちにされ、自由を失い、大切な人も失う。それでも、生きなくてはならない。祖国の悲劇の歴史の先に今の自分たちがいる。具体的にソ連のやったことを糾弾することだけが、目的では断じてない。もっと大きな祈りのようなものを描こうとした魂の作品である。ここから目をそらしてはならない。