破天荒な芝居と映画とを見て、小説も読んだ。たまたま重なっただけだけど、なんだかうれしい。だいたい本格的な芝居を見るのも久しぶりのことだ。
ある夏の日、とある地方の集落で暮らす夫婦のところにいつものように近所の老人がやってくる。これはそんな1日のスケッチだ。そして、これはある種の不条理劇であり、コメディでもある。だが平田オリザが演出するので、そうはならない。淡々とした日常のスケッチになる。だけど、ここに集う老人たちはみんな認知症で、誰がボケていて、誰がまだ正常なのか、よくわからなくなってくる。でも、みんな表面的にはふつうだ。だから、誰が言っていることが正しいか、正しくないのかもわからない。なんとなく、サスペンス劇にすらなりそうだ。だけど、そこはオリザさんだから、そうはならない。そうならないから面白い。ありきたりのお話にはならないのだ。作品自身のテイストや方向性はいつもの平田オリザとは全く違うけれども、演出は平田メソッドなので、表面的にはコミカルな芝居なのに、落ち着いたタッチで、淡々としている。これを騒々しい浮ついたタッチでやられたなら、つまらないものになりそうだが、そうはならない。
田舎にやってきた詐欺師が、無邪気なボケ老人たちに翻弄される。でも、彼らは表面上はとてもふつうなので、全くぼけているようには見えない。でも、それぞれの言うことの辻褄が合わないから、何が正しいことなのかはわからない。自分の方が間違っているのではないか、と思い怖くなり、逃げ出そうとするけれど、逃げられないまま、ここに留まり、彼ら夫婦の息子として暮らすことになる。これは作り方によってはホラーにもなる。
とある1日のお話なのに、2日目が来た。このまま、こんな生活がずっと続いていくのかもしれない。近隣の認知症老人や介護施設に入っている老人たちも抜け出してこの馬留家の縁側にやってくる。ここはユートピアかもしれない。
芝居はとても危ういところで作られてある。これはファンタジーにすらなるような設定だ。だけど認知症がエスカレートすれば、いろんな意味で危険だ。現実はとんでもなく、それはファンタジーどころか暴力的になったりもする。黒人への人種差別を描いた映画『ゲットアウト』のようなお話になってもおかしくない。
若年性アルツハイマーの青年が登場する。お話の核となるのは、ここにやってくる部外者である詐欺師の青年と彼である。年寄りの中にいるこのふたりの若者。彼らが起こす波紋を中心にしてお話を展開するとわかりやすくなるのだけど、そうはしない。彼らも込みでの群像劇で、主人公はいない。馬留徳三郎の1日と言いながらも、彼も登場人物のひとりでしかない。
老人たちの頭の中の混迷は描かれない。あくまでものんびりとした1日のスケッチだ。そして、彼らはみんなとても聡明でクリアだ。だけど、ラストで妻は自分の夫のことがわからなくなる。「あなたはどなた?」と言う。この先に彼らの生活はどうなっていくのか。それはまた別のお話なのだろう。芝居はそこでさらりと終わる。
自分が今、毎日認知症の母親の面倒を見ているから、ここに描かれることもなんだか自分の問題のように思える。笑えないし、切実だ。しかも、自分もまた、最近物忘れが激しくなっているのも、怖い。そんなだから、この芝居を見ながらも自分のことばかり考えている。