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映画・演劇のレビュー

『RIVER』

2013-03-06 21:09:04 | 映画
 新作が続々と公開される廣木隆一監督の2012年3月公開作品。2011年3月の撮影されたこの作品を、公開から1年遅れの2013年3月に見る。偶々だが、なんだか意味深。秋葉原の無差別殺傷事件を題材にした作品なのだが、、映画は終盤震災にあった被災地に向かう。カメラが生々しい現実に目を向ける。だが、そこになんらかのドラマを作るのではない。ただ、ただそこを歩くだけだ。それ以上、何もできない。自分たちの無力を見せるのでもない。秋葉原から被災地となった故郷に立つ青年の姿をカメラは追う。

 まるでバトンリレーのようだ。まず主人公は蓮佛美沙子演じる少女だ。秋葉原の事件で恋人を失った彼女は、事件以来ひきこもっていた。他人と接することが出来なくなった。今もその痛手から立ち直れない。

 今も休みの日になると、埼玉から事件の現場にやってきて、ただ彷徨い歩く。秋葉原の街を目的もなく、ふらふら歩くだけだ。死んでしまった人は帰ってはこない。彼の痕跡なんかここにはない。そこで何を捜すでもなく、誰に出逢うわけでもない。ただ、人で溢れかえる街を歩くしかない。だが、かわいい彼女が歩くと、見知らぬ誰かが声をかける。そんな声に耳を傾ける。

 映画はドキュメンタリー・タッチで、ある日の彼女の姿を追いかける。カメラマンの女性や、メイドカフェの店長(いつものことだが、田口トモロヲ)や、様々な人たちと出逢うことになる。だが、それをお話として見せていくのではない。一瞬すれ違い、すぐに別れていく。彼らはただの行きずりでしかない。最後に、死んだ彼のことを知っているという男と出逢う。映画はその男が故郷である被災地に戻るというエピソードで終わる。少女からこの青年へとバトンが渡る。

 秋葉原の殺傷事件を描くのではない。ましてや、東日本の震災を描くのでもない。そこに立ち、カメラを向けるだけなのだ。ある日の街の風景をドキュメントするだけ。そこに少女や青年を立たせて、歩かせて、それだけ。テーマとか声高に叫ばない。ただ、この状況を見たらわかる。そのわかることを拠り所にして、彼女たちと一緒に目撃すればいい。これはただそれだけの映画なのだ。

 こういう実験的な映画を作れるのが、廣木隆一監督の凄さだ。ジャンルは問わない。大作から、こういう小さな映画まで、同じように手掛ける。自分の興味の赴くまま、誠実に取り組む。ただ今回はちょっと作りが緩すぎた。これでは作者の想いは伝わらない。

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