『四月の永い夢』の中川龍太郎監督作品だから信じる。あの作品は素晴らしかった。だけど、あれはフロックだったのかも知れない。その後、苦戦している。今回だってそうだ。もどかしい。
たぶん、彼自身もなかなか思うような作品は作れていない、と思っているはず。この作品の次に手掛けた『静かな雨』もすでに見ているけど、あれも同じようなもどかしさを感じさせた。納得のいく作品にはほど遠い。設定の面白さを生かし切れない。というか、彼は故意に生かそうとはしない作劇を試みる。そこから生じる世界を作る。
日常のスケッチを淡々としたタッチで綴るのは難しい。それだけで、退屈させないものにするのは相当な力量が必要だ。ここまでお話のない映画をわざと作る。ドラマチックから遠く離れて、いい。
都会の片隅にある古い風呂屋を舞台にして、そこが町ごと区画整理され消えていくまでの短い時間が描かれる。田舎から出てきて、この東京のかたすみで、暮らし始める女性(松本穗香)が主人公だ。消えていくものへの哀切。それをたまたま目撃することになった彼女が、それを受け入れていく姿を描く。彼女の責任ではない。たまたまそういう巡り合わせに遭遇しただけ。
銭湯という,今の時代どんどん「消えていくもの」に象徴させて、何かもっと大きなものを描くわけではない。目の前の出来事がそのまま描かれるだけ。静かに目の前の出来事を綴っていく。このスタイルが彼の世界として定着し、それが心地よさに繋がればいいのだけど、まだ、そこには至らない。はかなさが彼の作品の身上だ。それを丁寧にさりげなく見せていく。ぴたっと嵌まってくれたなら、凄いものが出来るはず。今はまだただただもどかしい。この映画にあるのは「物語」ではなく、そこにはこの映画のタイトルにあるように「光」のようなものが漂う。その雰囲気だけで、映画が成立したなら素晴らしいのだけれど。