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映画・演劇のレビュー

『J エドガー』

2012-09-22 18:06:18 | 映画
 1月公開のイーストウッド最新作をようやく見る。重くて辛気臭い映画だ。しかも、ほとんど部屋の中でしゃべっているだけで、アクションはないし、視覚的な楽しみはない。現在と過去は交錯して、あっちこっちに一瞬でどんどん行き来する。20年代から30年代、若き日のフーパーのFBIを立ち上げる話と、その頃を振り返って、口述筆記で伝記を書かせる話。50年に及ぶ彼とFBIの歴史が紐解かれる。

 だが、これは伝記物とか、偉人伝とかではない。マザコンで、ホモで、マッチョを気取る男が、自分の信じる正義を全うしようとする話だ。だが、もちろんその正義、とやらは、なんともくだらないものでしかない。とことんくだらない男なのだが、そんな男の誠実さがなぜか胸を打つ。しかも、これはちょっとしたラブストーリーなのである。終盤の年老いた2人の男が、自分たちの出会いから今までを回想し、お互いの想いを吐露するシーンがすばらしい。もう70代になる、よぼよぼの老人2人が、愛を語るのだ。しかも、男同士だし。なのに、そんなシーンが様になっている。

 カミングアウトも出来ず、お互いの胸の内に想いを秘めたまま、アメリカの正義を全うするために、ゆがんだ行為に励む姿は、いびつで醜い。しかも、本人はそれこそが、この国のためなのだ、と頑なに信じているからタチが悪い。

 イーストウッドがこんな地味な映画に挑むのは、ここに描かれたアメリカの正義が、80代になった今、自分が追い求めてきたものと重なるからだろうか。武力で何かを為さなくては秩序は守れない、そんな一面もある。だが、『ダーティーハリー』じゃないのだから、それでは無理だ。というか、ハリー・キャラハンがしてきたことをイーストウッドが正しいことだなんて思っているわけではない。今、この映画を通して、イーストウッドが正そうとしたことは、ただの歴史の見直しではなく、これから僕たちがどこに向かうべきなのか、ということに対しての彼からのメッセージなのだろう。心して受け止めたい。

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