長田育恵の鶴屋南北賞受賞作品を熊本一の演出で贈るシアター生駒25周年記念公演。ダブルキャストでの公演で僕は高升君枝が主演するヴァージョンを見た。とても気持ちのいい作品に仕上がっている。
これは考えようによったらストレートなお話だ。茨木のり子が亡くなって4ヶ月が過ぎた。空っぽになった彼女の家に編集者がやって来る。彼女が残した遺稿があるはずだから、それが欲しいと言う。管理をしている甥には心当たりはない。そんなふたりのやりとりから始まる。そこには、もうひとり男がいる。だがふたりには彼が見えない。
お話は亡くなったのり子が現れて本格的に進展する。彼女は自分が死んだことも知らない。毎日同じ1日を繰り返す。そんな彼女にふたりのノリ子がやって来て、あなたは心残りがあるから成仏できない、と言う。
のり子に死なれてショックにある生きている者と彼らには見えない死者たちのドラマが交錯する。そんな中から、茨木のり子の生涯を描く物語、そして彼女の詩に賭けた人生が綴られていく。
わかりやすいことばで詩を書く。ストレートに心情を綴る。戦争で失われた人生を取り戻す。彼女の代表作『わたしが一番きれいだったとき』をスタートにして、『倚りかからず』に至るまでのドラマが死後のドタバタ劇を背景にして描かれていく。コメディタッチで「キガカリ」の正体に迫り、彼女の夫への想い、詩に対する気持ちがストレートに描かれていく。
このとても気持ちがいい台本を素直に見せていく演出の熊本さんは84歳。だけどとても若々しい芝居を作る。主演した高升さんをはじめとした7人のアンサンブルも悪くない。何人かの役者がセリフがかなりつっかえてしまいプロンプのお世話になりがちだったが、そんなこと気にすることはない。市民劇団として25年、自分たちの芝居に邁進して今もこうして舞台に立つ。自信を持って立ち向かっている姿はそんな些細なミスなんてものともしない。
休憩を挟んで2時間10分。詩にかけた茨木のり子のささやかな人生を描く「演劇を暮らしの中に」を標榜する市民劇団による演劇。作品の内容と劇団の姿勢がきちんと重なり合う、そんな気持ちのいい芝居を満喫した。生駒まで来てよかった。