習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『クロユリ団地』

2013-05-24 22:57:57 | 映画
 中田秀夫監督の久々の本格ホラー映画なので期待した。『リング』の時代から遙か遠く離れた今、再び初心に戻って和製ホラーの醍醐味を再び。そんな気分で映画と向き合う。しかも、今秘かにブームとなっている(?)団地ムービーだ。中田監督には『仄暗い水の底から』という団地(マンションか)を舞台にした傑作ホラーもあるし。何を見せるのか期待は高まる。

 だが、映画はまるで弾まない。しかも、家族が本当はいないことに気付いた所から怒濤の恐怖が始まるはずなのに、なかなか先に進まない。大体、団地であることはまるでお話自体と絡んでこないし。ストーリーも単純すぎた。なぜマサルが前田敦子を引き込むのか。彼の心の中にあるものは何なのか。彼らが惹かれあう気持ちをどう引き離すのか。その辺の理屈がまるで描かれない。もちろん映画は理屈ではないことはわかるし、これはホラーである。そんなとこに理屈なんか不要だ。

 だが、まるでドラマとしての整合性がないようなら、映画は成立しない。手塚理美の霊媒師も最後はまるで活躍しない。あんなに必死で祈祷しても甲斐がない。大体あれでは何のために出てきたか、わからなくなる。それは成宮寛貴も同じ。あんなに簡単にマサルの霊を部屋に入れてしまってはダメでしょ。

 成宮と前田敦子がよく似た匂いがする、と言う成宮の同僚の言葉が意味深で、映画はそこをちゃんと表層的なレベルではなくもっと本質的な問題として突っ込んで描くべきなのだ。彼らが惹かれあうところから、出口が見えてくるはずなのに、そういうラブストーリーは用意しない。成宮の事情と前田の問題が絡み合うことで映画には奥行きができたはずなのだ。なのに、2人とも簡単に闇の世界の中に閉じ込められる。

 それぞれが抱える自分だけが生き残ったという罪の意識。その負い目が彼らを苦しめる。だが、本当はそこから抜け出して本当の人生を生きなくてはならない。特に前田敦子はそうだ。事故を起こしたのは彼女ではない。成宮の場合は自分の起こした事故が原因で彼女を植物状態にしてしまったわけだから、拘る気持ちはわかる。でも、彼とて、前田を助けることで彼もまた今の状態から抜け出すチャンスとなったはずなのだ。同じように事故で死んでしまったマサルも自分の過失である。そんなこんなの関係性から、この映画はもうちょっとちゃんとお話を作るべきだったのだ。現実と幻想の垣根が曖昧になるのはホラーの黄金のパターンでそこから怖がらせたりするのだが、それが主人公に意識を代弁しなくてはただのこけおどしにしかならない。そのへんもこの映画は弱い。

 死ぬ、ということは恐ろしいことだ。心を失くすということで強引に終わらせるのではなく、この映画はもっとちゃんと死と向き合うべきである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小桃企画『四季一会 夜毎の鳩』 | トップ | 『ラストスタンド』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。