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映画・演劇のレビュー

『硫黄島からの手紙』

2006-12-06 19:40:54 | 映画
 クリント・イーストウッドによる硫黄島2部作の日本篇を見た。アメリカ篇である『父親たちの星条旗』があまりに素晴らしすぎて「一刻も早く見たい」と思ってたから、まず、見れたことが素直に嬉しい。

 しかし、正直言うと少しがっかりしたことも事実だ。素晴らしい映画であることに異論はない。ただ、手放しでは絶賛できない。

 アメリカ篇とは違う切り口を見せる。こちらは、剛速球の直球勝負だ。それは題材的にも仕方ないことだろうし、その選択は正しい。重くて、暗くていつまでも続く地獄巡りが描かれる。アメリカ篇と同じく銀落しによるモノクロテイストの寒々とした映像は効果的である。洞窟の中で、地下の穴蔵で、夜の闇の中で、彼らは戦い続ける。本土にアメリカ軍を入れないために、祖国を守るために戦う。味方の援護もないし、武器も底を尽くのに。玉砕は覚悟の上である。

 日本人なら、この気持ちはよく分かるがアメリカ人であるイーストウッドは理解に苦しんだことであろう。しかし、彼はこの事実をしっかりと見つめ、それを何の偏見もなく描く。描くことでそれを理解し、彼らに近付く。分からないことを分かった振りして描くと嘘になる。そんな当たり前の事をイーストウッドは大事にするのである。満足に日本語も分からないのに、ほぼ全編日本語の映画としてこの作品に挑む。死を受け入れながら最後まで戦い続けるという愚かとも取れる行為がなぜこんなに胸をうつのか。そこに、この映画の意味がある。これはイーストウッドによるアメリカ映画だったから到達できた、そんな奇跡の映画である。

 ただ、見ていて疲れる映画でもある。いい映画だが、見終わった後の気分はあまりよくない。長くて辛い映画だ。それは、題材だけの問題とはいえない。

 描き方がストレート過ぎて、ストーリーにも、なんの捻りもない。「捻る」ような映画ではないだろと、お叱りを受けそうだがはたしてそうか?こんなに単調に見せたのはなぜか。それが気になる。

 主人公は二宮和也演じるパン屋である。召集されてここに連れてこられた一兵士である彼の目を通して語られる。アメリカ篇のような群像劇ではない。基本的には時制をあちらこちらと動かしたりもしない。彼の視点に統一されドラマが語られるからとても分かりやすい。だが、僕にはそこが物足りなかった。例えば、中村獅童。彼が戦車を道連れに自爆しようとするが、いくら待っても米軍は来ず、望みは果たせない。死体の群れの中で眠りから覚め、青空を見る。このエピソードが素晴らしい。こういうシーンをもっと全体に散りばめて、幾つもの価値観がぶつかりあう、そんな地獄を見せて欲しかった。二宮和也はすごくいいのだが、せめて、彼と加瀬亮の2人を同じくらいのバランスで描き、彼ら2人が見た渡辺謙(栗林中将)を描いて欲しかった。こんな、文句は些細な事で、この映画自体が選んだ方法を否定するものではないが、作品が小さくまとまり過ぎた印象が残るのが残念なのだ。

 

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