この芝居の初演も見ている。土橋演出によるそのオリジナル版も優れた作品だったが、今回の竹内銃一郎演出による新版のすばらしさはどうだ。こんなふうに作るのか、と改めて目を奪われる思いだ。今までの土橋さんの作り方に慣れていたから、このほんの少しの差異がとても新鮮だ。大胆な新解釈とかではない。脚本の持ち味、キャストの組み合わせの妙。それが結果的に台本の魅力をさらなり高みへと引き上げた。書いた本人が演出すると、なかなかこうはいかない。しかも、土橋台本をしっかり理解し、尊重する大人の演出家による仕事に目を瞠らされた。竹内さんは自らの台本を2作品演出した土橋さんの仕事を高く評価されている。彼の持ち味を熟知したうえで、では自分ならそれをどう生かすかと考えた。キャストはA級のメンバーをベースにして外部からサポートとして呼んできた。その組み合わせがまず素晴らしい。
演出はキャスティングの成功がまず第一。そのことを思い知らされる。母親役に近年の竹内作品のミューズ、武田操美。コメディリリーフとして使うのではない。(器用な彼女は、ちゃんと、その役割も担うけど)この芝居の肝となるのは、この母親の存在だ。彼女がただ耐えてきただけではなく、そこで危うい家族の絆をなんとかして保ち続けた。表面には出ない彼女の存在がこの芝居を支える。彼女とパートナーとなるスクエアの川末敦も素晴らしい。出しゃばらない。ただそこにいるだけで、温かいものがこみあげてくる。ちゃんと武田さんに寄り添える。さらには、ショート・リリーフとなる保。彼がお話を転がしていくのだが、単なる狂言回しでも、この芝居の道先案内人とある探偵であるだけではなく、この家族の秘密を見守り、ちゃんと観客をお話の先へと導く。彼の演技はこの芝居の全体とはそぐわない。その激しさが、芝居に緊張を呼ぶ。さらには、死んだ兄の恋人だった筒井加寿子の穏やかさも忘れ難い。
そして、竹内さん自らによる選曲。ブリッジとなる曲の数々が、単なるシーンの繋ぎではなく、異化効果を発揮する。そこまでのシーンを終わらせるのではなく、そこに描かれたものに、さらなる意味や疑問を投げかけることとなる。あれ? と思い、次に場面が始まる。時間が行き来するお話を自然に感じさせる。現実の時間とありえたかもしれない時間が交錯し、どれが正しく、どれは空想、という線引きをさせない。すべてが正しい。この芝居で描かれるそんな不思議な時間に説得力を持たせる。幻想的なドラマだというわけではない。事実なんてものがいかに危ういものなのかを、思わせる。
兄の自殺を表面に出さない。父の失踪も同じだ。起きたことは、確かな事実だろう。しかし、それがすべてではない。この芝居が描く家族のドラマは、アルバムの中に閉じ込められることなく、空白のまま、確かにそこに存在する。妹役の林田あゆみを主人公にして、A級の面々が演じるこの家族の時間が、生と死のはざまで生きる僕たちの日々の営みとシンクロする。どこにでもあり、誰にでもある、そんな「特別」を、丁寧に掬い取る。素晴らしい傑作だ。