たまたま今、俵万智の『恋する伊勢物語』を読んでいた。これは伊勢を彼女の解釈で解説するエッセイ集で、子供たちのために『伊勢物語』の現代語訳した彼女が訳だけではなく、伊勢の魅力をわかりやすく伝える為に書いたものだ。短いお話が多く、余白だらけの伊勢は、その余白を埋めることで普遍的な恋の姿を伝える古典の名作だ。わざわざ僕が何かをいうことはない。
高校の授業でよくやるのだが、在原業平ではなく、昔男のあり方を通して、恋とは不可解で楽しいもの、ということをここから学んで欲しい、と思う。ままならない想いを57577に託して、短い物語とともに、語る歌物語というスタイルがどれだけ画期的な表現スタイルであったかを学んでくれたならうれしい、といつも思う。
僕は結婚する前、「古典の勉強がしたいな、」という彼女のために『伊勢物語』の文庫本を買ってあげて、一緒に読んだことがある。(30年くらい前の話で、今考えると恥ずかしい)果たして彼女は覚えているだろうか。さて、その彼女と、久々で歌舞伎を見た。
歌舞伎を見ながら、『伊勢物語』の「物語」の分量と歌舞伎の演目の物語の分量とはなんだかとても近い気がした。単純なお話を情感たっぷりに見せて感心させる。
五代目中村雀右衛門襲名披露公演の夜の部を観劇。襲名披露というセレモニーは初めて見たけど、なんだか楽しかった。楽屋裏を覗くみたいな感じもあり、素顔の歌舞伎役者の一面が垣間見える。雀右衛門に対するそれぞれのコメントにも個々の役者たちの人柄が滲み出ていて、このチームが彼をセンターに据えてこの公演を作り上げているんだな、ということがよく伝わる。
最初の演目『鬼一法眼三略巻 菊畑』は少し退屈だった。このテンポは僕にはつらい。でも、こういうのもまた歌舞伎の魅力なのかもしれない。ただ、橋之助の存在は圧倒的だ。
今回のメインは岡本綺堂作『鳥辺山心中』である。中村雀右衛門が片岡仁左衛門(相変わらずダンディでカッコいい)とのコンビで挑む。とてもわかりやすい心中もので、可もなく不可もなくの出来。期待しただけにいささか残念。中村雀右衛門のお染は運命に翻弄される受身の女性で、自分の意志を持たない。ただ、彼に寄り添い、はかない人生を終えていく。後半、鴨川での果たし合いから、道行きまで、パターンだけど、美しい。
今回の演目で、白眉はなんと、最後の短編『芋掘長者』。これが、また楽しかった。橋之助と錦之助のコンビが笑わせてくれる。これもよくあるパターンなのだが、(歌舞伎の演目だから当然かぁ)見事ハッピーエンドは、こんなにも心地よい。4時間半の最後を飾る。
単純なお話をどれだけ深く見せるのかが芸能というものなのだろう。お決まりのパターンで、何度見ても心ひかれる。個々の役者の魅力と華やかな演出。それが時代を経ても受け継がれていく。今回は中村雀右衛門の襲名披露公演のはずなのに、結果的には、橋之助のオンステージだった。まぁ、それはそれでいいけど。 (冒頭の伊勢と今回の公演をつなげて、書くつもりだったのに、そうはならなかったのは残念。)