7月の後半から今日まで凄い量の小説を読んでいる。映画や芝居が見れないから、そのかわりというわけでもないのだが、普段の2倍は読んでいるはずだ。特に今週から夏の大会個人戦が始まったので、その凄まじい待ち時間を仕方なく読書でやり過ごしている。1日1冊は堅い。今日なんて一日でこの本を読みきってしまった。500ページもある長編だからとんでもないことだ。
最近読んだ本はいずれも面白い小説ばかりで満足度も高い。それぞれについて簡単な感想だけでも書きたいのだが、毎日クタクタなので気力がわかないし、時間もない。とりあえず、今日はこの小説のことを断片的にでもいいから思いつくまま書きたい。
この小説を読んだのは、舞台が台南だったからだ。数年前、台南に行った。高雄から日帰りでの旅だったから、じっくりと見たわけではない。だけど、高雄とも台北とも違い、独特の雰囲気のある街だった。この小説はピンポイントで台南を描いた。主人公の女性にとっては、初めての海外。祖母の記憶をたどる旅だ。祖母が生まれ育った町へ行く。16歳までそこで暮らした。戦争が終わり、日本に引き上げてきた。それ以来訪れることはなかった。入院した祖母が「ふるさと」である台南に帰りたい、と願ったことから始まる。祖母の代わりに彼女が祖母の70年前の記憶をたどり、旅をする7日間のお話である。
今の自分の気持ちと近い。認知症を発症した祖母その介護の問題が終盤になって前面に出てくるのには驚いた。それまでは一切そういう小説ではなかったからだ。だが、最初からそんな予感はしていた。うちの母親と同じことをするシーンがプロローグにあった。アイスクリームを冷凍室ではなく、フリーザーにいれて溶かしてしまうエピソードだ。つい先日のことだったので、「同じだ!」と読みながらちょっとテンションが上がった。
暑い夏の日に台南を歩いた。この小説の前半で出てくる場所は定番なので、ほとんど見ている。どうして僕たちがこんなにも台湾に心ひかれるのか、その答えの一端がここにある。
終盤の祖母が住んでいた家にたどり着き、そこからどんな話が展開していくのか、ドキドキしたのだが、そこから小説はまさかの失速。そこで今暮らす人たちの話を聞く部分が長すぎて、しかも、ストーリーの本質からずれているし、悲惨で作品自体のバランスを欠くからだ。150ページ近くもある。言葉の問題や、歴史的な問題も含めて全体がとてもよくできているだけに惜しい。取材で得た貴重なエピソードなのかもしれないが、この小説にはそぐわない。これはあくまでも祖母の記憶を何も知らない孫娘がたどる旅なのだ。そこに他者の介入する余地はない。
祖母と孫娘というお話の骨格は、ハネケの『ハッピーエンド』と同じだ。(まぁ、あれは祖父と孫娘だけど)家族のお話であるところも似ている。もちろん内容は全く違うし、テイストもまるで違うから、2作を並べてみてどうこうということが言いたいわけではない。ただ、たまたま同じ時期にこの2本と連続して出会った偶然を面白く思う。お金の話が絡むのも、少し似ている。お金は大事、という当たり前の話をこういう切り口で語られると新鮮だった。
80年代の終わり、ホウ・シャオシェンを通して台湾と出会った。あの時の興奮は今も持続している。とんでもなく懐かしい風景がそこにはあった。忘れていたものと出会った。今さらこの小説で新しい出会いがあるとは言わないけど、この小説を読んであの時の想いがよみがえってきたという一面があったことは確かだ。