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映画・演劇のレビュー

『丘を越えて』

2010-06-21 22:47:11 | 映画
 高橋伴明監督が『禅』の前に撮った作品。劇場公開時(2008年)見落としたまま今日に到っていた。とても気になっていた映画だ。なぜ、今、こんな話を映画化するのだろうか。その意図が知りたいと思った。

 商業的には絶対に成立しない映画だ。しかも制作費はかなりかかる。リスクは大きく得るものは少ない。にもかかわらずこれを映画化したのはなぜか。当然興行的には惨敗した。誰からも顧みられることもないまま消えていった幻の1編である。

 昭和初期、文藝春秋編集部。ここにひとりの女性が編集の仕事に憧れてやってくる。女性が社会に出て男性に混じって働くなんてまだまだだった時代の話だ。彼女(池脇千鶴)は編集長である菊池寛(西田敏行)に気に入られて、彼の秘書として働くこととなる。モダン・ガールである彼女が見た日本がまだ夢を持っていた時代。彼女と彼女が尊敬する不思議な男、菊池先生との毎日を通して、やがて戦争に突入していく時代を背景にしてひとときの安らぎを描く。

 暗い時代がやってくる直前の自由でおおらかな空気を菊池寛という男を通して描く。関東大震災の傷もまだ癒えない時代だが、それでも夢と理想を持って生きたいと願った人たちの姿がちょっとメルヘンタッチで綴られていく。世の中こんな甘いものではないでしょう、ときっと誰もが思うだろう。でも、この映画はそんなことなんかには頓着しない。いいかげんすれすれでなんとか、やっていく。それは菊池寛という男の個性であり、彼の生き方なのだろう。それを、受け入れられないなら、この映画はただの愚作ということとなる。でも、僕はこんな夢を抱いて生きていきたいと思う。なんとかなるはずだ。そして、なんとかしたいと切に願う。それだけで充分ではないか。

 恋とか、民族の独立とか、夢のような話をする人たち。やがて、高等遊民の朝鮮人青年(西島秀俊)は、朝鮮独立の夢を抱いて故国に帰る。そして満州事変が起きるというところで映画は終わる。

 エピローグでは、主人公たちが呑気に丘の上で踊るミュージカルのようなシーンが延々と綴られる。主題歌である『丘を越えて』の歌声に乗って、陽気に踊る彼らの姿が愛おしい。この後、日本は泥沼に陥る。だが、彼らはバカで何も知らないノーテンキな人たちなのではない。一時の夢に浸り、必死に生きようとした人たちなのだ。


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