久しぶりに犯友の野外劇を見た。とても懐かしくて優しい。そうそう、こういう感覚。なんだかいい気分。今の時代に失われつつある世界がここにはある。派手なスペクタクルではない。(昔の犯友はそうだったけど)とても地味でひそやかな世界だ。今の犯友が目指すのは、路地裏の人と人とが寄り添いながら生きている世界だ。それは劇場での公演も同じ。以前のような狂気は影を潜める。
とても丁寧に作られた路地裏の一角の風景。そこは確かに1962年だ。東京オリンピックの誘致が決まり、日本が高度成長期に突入した時代。戦争の影はまだまだそこかしこにあるけど、でも、新しい時代に向けて人々は希望を抱いていた頃。
今回の芝居を見て、一番楽しかったことは、空がこんなにも大きいという事実だ。前の方で見たから、舞台も見上げる。すると、視界にはかなりの比重で確かに夜空が入ることになる。野外劇ならではの風情なのだが、その事実がこの作品をとても心地よいものにしている。今までも、数限りなく野外劇は見てきた。テントではなく、空がむき出しになる開かれた空間を使う芝居もたくさん見てきたはずだ。だいたい、犯友の丸太劇場はいつもそうだ。だが、今回、なぜかいつも以上にロケーションとしての「空」というものが、この芝居の重要な要素になっている気がした。別に必然性はないのに、派手な花火を仕掛けてあるのも含めてだ。(でも、あのダンスシーンは楽しい)
派手なスペクタクルではない。普通の会話劇だ。隣近所の人たちとの、会話が中心になっている。一応「恋愛もの」なのだが、そこに深入りしない。話自体はそれほど重要ではない。庶民の哀歓を描く、なんていうと、ありきたりになるけど、ここにいると、ほっとする、そんな気分がこの芝居には充満している。この濃い人間関係が、とても心地よい。悪い奴も、いい人も、いる。でも、とことん、悪い奴はいない。みんな自分が生きることに精いっぱいで、そのためにあくどいことにも手を出す。
まるで客の来ないカフェを経営している男が一応の主人公。でも、彼は何もしない。芝居の中ではただの狂言回しの役割でしかない。だが、この芝居自身が格別何もしない芝居なのだ。僕たちはただ、ぼんやりと目の前にいる彼らを見つめているだけでいい。そこでは、ゆっくりと時は流れ、ほんの少し彼らをめぐる状況も変わっていく。そして、やがてはこの町は消えてなくなっていくのだ。それまでの、ほんの一時がここには描かれる。
彼には役場に勤める妹がいる。彼女は仕事を辞めて東京に出ようとしている。東京で出版社に就職したい。記者を目指している。主人公に恋心を抱く娘がいる。彼女は幼いころ、戦争のどさくさで両親を失い、上海から引き揚げてきた。そんな彼女の視点からこのお話は展開する。主人公が恋心を抱く年上の綺麗な女性も登場する。彼女は一度結婚に失敗している女だ。さらには、料亭の女将。彼女もまた、ひそかに彼に恋心を抱いている。そのオーナー。彼はこの路地裏全体の利権を持っているようだ。そして、この町にやってきた胡散臭い3流雑誌の記者。そんな彼らが織りなす、ささやかな物語。
東京オリンピックを2年後に控えて、活況を呈してきた日本。そんな時代を舞台にして、この芝居は描かれる。まだまだ貧しかった日本人が、ここには確かにいる。それだけでいい。
とても丁寧に作られた路地裏の一角の風景。そこは確かに1962年だ。東京オリンピックの誘致が決まり、日本が高度成長期に突入した時代。戦争の影はまだまだそこかしこにあるけど、でも、新しい時代に向けて人々は希望を抱いていた頃。
今回の芝居を見て、一番楽しかったことは、空がこんなにも大きいという事実だ。前の方で見たから、舞台も見上げる。すると、視界にはかなりの比重で確かに夜空が入ることになる。野外劇ならではの風情なのだが、その事実がこの作品をとても心地よいものにしている。今までも、数限りなく野外劇は見てきた。テントではなく、空がむき出しになる開かれた空間を使う芝居もたくさん見てきたはずだ。だいたい、犯友の丸太劇場はいつもそうだ。だが、今回、なぜかいつも以上にロケーションとしての「空」というものが、この芝居の重要な要素になっている気がした。別に必然性はないのに、派手な花火を仕掛けてあるのも含めてだ。(でも、あのダンスシーンは楽しい)
派手なスペクタクルではない。普通の会話劇だ。隣近所の人たちとの、会話が中心になっている。一応「恋愛もの」なのだが、そこに深入りしない。話自体はそれほど重要ではない。庶民の哀歓を描く、なんていうと、ありきたりになるけど、ここにいると、ほっとする、そんな気分がこの芝居には充満している。この濃い人間関係が、とても心地よい。悪い奴も、いい人も、いる。でも、とことん、悪い奴はいない。みんな自分が生きることに精いっぱいで、そのためにあくどいことにも手を出す。
まるで客の来ないカフェを経営している男が一応の主人公。でも、彼は何もしない。芝居の中ではただの狂言回しの役割でしかない。だが、この芝居自身が格別何もしない芝居なのだ。僕たちはただ、ぼんやりと目の前にいる彼らを見つめているだけでいい。そこでは、ゆっくりと時は流れ、ほんの少し彼らをめぐる状況も変わっていく。そして、やがてはこの町は消えてなくなっていくのだ。それまでの、ほんの一時がここには描かれる。
彼には役場に勤める妹がいる。彼女は仕事を辞めて東京に出ようとしている。東京で出版社に就職したい。記者を目指している。主人公に恋心を抱く娘がいる。彼女は幼いころ、戦争のどさくさで両親を失い、上海から引き揚げてきた。そんな彼女の視点からこのお話は展開する。主人公が恋心を抱く年上の綺麗な女性も登場する。彼女は一度結婚に失敗している女だ。さらには、料亭の女将。彼女もまた、ひそかに彼に恋心を抱いている。そのオーナー。彼はこの路地裏全体の利権を持っているようだ。そして、この町にやってきた胡散臭い3流雑誌の記者。そんな彼らが織りなす、ささやかな物語。
東京オリンピックを2年後に控えて、活況を呈してきた日本。そんな時代を舞台にして、この芝居は描かれる。まだまだ貧しかった日本人が、ここには確かにいる。それだけでいい。