林遊眠ひとり芝居の最新作である。今回は大航海時代を舞台にして海賊になったひとりの男と彼の仲間たちが、神の国を目指して旅をする海洋冒険活劇だ。最小の劇場で体感する最大のスペクタクル。こんなにも贅沢なエンタテインメントは他にはどこにもない。しかも、フランチャイズである船場サザンシアターは客席が30席しかないけど、ソファシートも含めて、とても豪華な仕様になっている。ショウダウンによるたったひとりのスペクタクルにとってこれ以上の舞台はない。(ショウダウンの一人芝居は、30席の劇場で演じられるが、それは400席の劇場でも大丈夫だし、2000席の大劇場でもきっと成立するはずだ。そういうものを30席で体感することが豪華!)
そういう意味ではこれは変わらないいつも通りの新作なのだ。だが、今回は、そんな「いつも」とは、ほんの少しスタンスが違う。一歩引いた視点から語られるストーリー重視の作品になっているからだ。もちろん今までもストーリーはちゃんとある。だが、林遊眠を見つめていれば、(たとえ他にキャストがあったとしても、だ!)それだけで充分に成立する作品だったのだが、(それは初めに彼女ありき、の芝居だということだ)今回は彼女が物語る世界を造形するという作りにシフトしてある。演出の立ち位置が微妙に違うのだ。彼女と同じ位置にはナツメさんは立たない。それは本当に微妙な差異なので、今までの作品との線引きは難しいくらいだ。でも、明らかに違う。
もちろん、いつも通り彼女がひとりで何十人を演じる。ひとり語りである。しかし、彼女のキャラクター重視から、とても微妙な次元でのスライドで、ストーリー重視の作品になる。
2部構成2時間10分の大作である。海賊たちが自由を求めて旅する。しかし、彼らが手にした「自由」とは何だったのか。彼らが求めた最高のお宝(たぶん、金銀財宝というわかりやすい目的のはずだ)は、いつのまみか自由という雲を掴むようなものになり抽象的で哲学的なものとなる。それは、彼らが大英帝国の50隻もの軍艦という凄まじい敵に囲まれて死んでいくこと、でもある。死と引き換えにして手にしたもの。それがこの作品のテーマだ。
自らの正義のためにひとりの少年の命を救う。そのせいで、追われる身になり、たまたま海賊になり、やがては、仕方なしに大英帝国海軍に刃向かい、その短い生涯を閉じていくことになる。主人公ベラミーの生きざまを描く熱いドラマにしてもよかった。彼の視点に限定して、そこから見えるドラマにするのなら今まで通りの作品になる。だが、そうはしない。「彼らの」ドラマをとてもクールなタッチで物語ることを旨とする。だから、お話優先だ、というのだ。群像劇とまではいかないけど、少し引いた視線というのはそういうことだ。
今回の作品を見ながら、なんとなく、マルセ太郎の話芸(「スクリーンのない映画館」)を思い出した。彼の映画芝居を見た時の感動を、林遊眠の芝居から思い出さされる、だなんて、なんだか不思議な気分だ。
そういう意味ではこれは変わらないいつも通りの新作なのだ。だが、今回は、そんな「いつも」とは、ほんの少しスタンスが違う。一歩引いた視点から語られるストーリー重視の作品になっているからだ。もちろん今までもストーリーはちゃんとある。だが、林遊眠を見つめていれば、(たとえ他にキャストがあったとしても、だ!)それだけで充分に成立する作品だったのだが、(それは初めに彼女ありき、の芝居だということだ)今回は彼女が物語る世界を造形するという作りにシフトしてある。演出の立ち位置が微妙に違うのだ。彼女と同じ位置にはナツメさんは立たない。それは本当に微妙な差異なので、今までの作品との線引きは難しいくらいだ。でも、明らかに違う。
もちろん、いつも通り彼女がひとりで何十人を演じる。ひとり語りである。しかし、彼女のキャラクター重視から、とても微妙な次元でのスライドで、ストーリー重視の作品になる。
2部構成2時間10分の大作である。海賊たちが自由を求めて旅する。しかし、彼らが手にした「自由」とは何だったのか。彼らが求めた最高のお宝(たぶん、金銀財宝というわかりやすい目的のはずだ)は、いつのまみか自由という雲を掴むようなものになり抽象的で哲学的なものとなる。それは、彼らが大英帝国の50隻もの軍艦という凄まじい敵に囲まれて死んでいくこと、でもある。死と引き換えにして手にしたもの。それがこの作品のテーマだ。
自らの正義のためにひとりの少年の命を救う。そのせいで、追われる身になり、たまたま海賊になり、やがては、仕方なしに大英帝国海軍に刃向かい、その短い生涯を閉じていくことになる。主人公ベラミーの生きざまを描く熱いドラマにしてもよかった。彼の視点に限定して、そこから見えるドラマにするのなら今まで通りの作品になる。だが、そうはしない。「彼らの」ドラマをとてもクールなタッチで物語ることを旨とする。だから、お話優先だ、というのだ。群像劇とまではいかないけど、少し引いた視線というのはそういうことだ。
今回の作品を見ながら、なんとなく、マルセ太郎の話芸(「スクリーンのない映画館」)を思い出した。彼の映画芝居を見た時の感動を、林遊眠の芝居から思い出さされる、だなんて、なんだか不思議な気分だ。
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