このなんだか不思議なタイトルといつもと一味違うフライヤーに心惹かれた。なんとなくこれは元気になれそうな芝居に見える。そんな三枝希望さんの最新作である。だが、芝居はいつもながらの三枝カラーの作品だった。
家族の崩壊と再生をテーマにして、重く厳しい世界が展開していく。もっと軽やかに見せてもいいのに、といつも思う。時代のニーズなんかに応じたりはしない。自分のテイストを変えることもない。三枝さんの見せる世界は救いようがない。
ある種の事件を通した家族の有様を見せるのはいつものことなのだが、今回はいつも以上に動機となる部分が明確にはならない。両親の死という事実は、彼らが追い詰められていくことのきっかけとはなるが、それだけでは弱い。兄の家出と彼の帰還がセットになって提示されるが、それもきっかけとしては弱い。
彼ら姉兄弟をつなぐ絆は両親の死によって完全に途切れていく。姉と兄弟はそれぞれの親の連れ子で両親が2人とも亡くなった今、彼らをつなぐものはもうない。行方知らずだった兄(夏)が母の死をきっかけにして帰って来る。そこから生じたさらなる亀裂。他者との接触がうまく出来ない姉(前田有香子)と弟(大竹野春生)。彼ら3人がいかに心を寄せ合うか。
血のつながりのない姉と弟の暮らす部屋にいきなり帰ってきた兄に対して弟は激しい抵抗を見せる。3人3様の想いが交錯する。それを三枝さんはわかりやすい表面的な描写にはしない。彼らの心はそれぞれ屈折したものを内に秘めている。それを表には見せない。かなり激しいぶつかり合いは描かれる。だが、それが心を割るということにはならない。他者である姉の従妹や同僚だった女性が3人に関わるが、あくまでもこの2人は他者でしかない。5人がそれぞれ堅牢な垣根を持ったまま、ドラマは展開する。その垣根が取り払われることはない。
3人が体を寄せ合いひとつになるラスト。だがその場面を見ても空々しいものを感じる。これは家族の再生ではない。バラバラになっていく家族を繋ぎ止めれはしない。たった3人がひとつにはなれない。
弟は、近所の小学生を部屋に誘い自由にゲームをさせる。彼の行為がエスカレートし、誘拐事件に発展する。疲れた子供を隣の駅のビジネスホテルに連れ込む。眠ったままの少年を置き去りにして家に戻ってくる。行方をくらました少年を捜して、事態は警察沙汰となっている。
大きな事件は起こらない。この事件もプチ誘拐でしかなく、この話を通して大きな展開を見せるわけでもない。この事件がなくてもこの芝居は充分成立する。そうすることでもっとストレートな家族の解体劇となったかもしれない。中途半端な形で示されたこの事件がこの芝居から安定感を奪う。収まりの悪さが気になる。それは三枝さんの狙いなんだろうか。よくわからない。
今回三枝さんはストーリーの仕掛けに拘らない。ひとつの状況下での脆い家族の絆を確かめる作業に挑む。こんなにも微妙なものを閉ざされた部屋の中に封じ込めて見せる。息が詰まるような逃げ場のない会話劇である。情け容赦もない。近年こういうタイプの重厚な芝居を少なくなってきた。重くて暗くて逃げ場のない芝居だ。なんでも軽く語ることが好まれる時代の中で、こんなにも熱い芝居を敢えて観客に突きつけてくる。その姿勢は素晴らしい。
家族の崩壊と再生をテーマにして、重く厳しい世界が展開していく。もっと軽やかに見せてもいいのに、といつも思う。時代のニーズなんかに応じたりはしない。自分のテイストを変えることもない。三枝さんの見せる世界は救いようがない。
ある種の事件を通した家族の有様を見せるのはいつものことなのだが、今回はいつも以上に動機となる部分が明確にはならない。両親の死という事実は、彼らが追い詰められていくことのきっかけとはなるが、それだけでは弱い。兄の家出と彼の帰還がセットになって提示されるが、それもきっかけとしては弱い。
彼ら姉兄弟をつなぐ絆は両親の死によって完全に途切れていく。姉と兄弟はそれぞれの親の連れ子で両親が2人とも亡くなった今、彼らをつなぐものはもうない。行方知らずだった兄(夏)が母の死をきっかけにして帰って来る。そこから生じたさらなる亀裂。他者との接触がうまく出来ない姉(前田有香子)と弟(大竹野春生)。彼ら3人がいかに心を寄せ合うか。
血のつながりのない姉と弟の暮らす部屋にいきなり帰ってきた兄に対して弟は激しい抵抗を見せる。3人3様の想いが交錯する。それを三枝さんはわかりやすい表面的な描写にはしない。彼らの心はそれぞれ屈折したものを内に秘めている。それを表には見せない。かなり激しいぶつかり合いは描かれる。だが、それが心を割るということにはならない。他者である姉の従妹や同僚だった女性が3人に関わるが、あくまでもこの2人は他者でしかない。5人がそれぞれ堅牢な垣根を持ったまま、ドラマは展開する。その垣根が取り払われることはない。
3人が体を寄せ合いひとつになるラスト。だがその場面を見ても空々しいものを感じる。これは家族の再生ではない。バラバラになっていく家族を繋ぎ止めれはしない。たった3人がひとつにはなれない。
弟は、近所の小学生を部屋に誘い自由にゲームをさせる。彼の行為がエスカレートし、誘拐事件に発展する。疲れた子供を隣の駅のビジネスホテルに連れ込む。眠ったままの少年を置き去りにして家に戻ってくる。行方をくらました少年を捜して、事態は警察沙汰となっている。
大きな事件は起こらない。この事件もプチ誘拐でしかなく、この話を通して大きな展開を見せるわけでもない。この事件がなくてもこの芝居は充分成立する。そうすることでもっとストレートな家族の解体劇となったかもしれない。中途半端な形で示されたこの事件がこの芝居から安定感を奪う。収まりの悪さが気になる。それは三枝さんの狙いなんだろうか。よくわからない。
今回三枝さんはストーリーの仕掛けに拘らない。ひとつの状況下での脆い家族の絆を確かめる作業に挑む。こんなにも微妙なものを閉ざされた部屋の中に封じ込めて見せる。息が詰まるような逃げ場のない会話劇である。情け容赦もない。近年こういうタイプの重厚な芝居を少なくなってきた。重くて暗くて逃げ場のない芝居だ。なんでも軽く語ることが好まれる時代の中で、こんなにも熱い芝居を敢えて観客に突きつけてくる。その姿勢は素晴らしい。