2本立興行である。中編2本なのか、と思ったら、『みかんによろしく』は1時間20分ほどの長編作品だ。普通ならこれ1本で上演しても、問題ないだろう。だが、敢えてこれの同時上演として45分の中編作品を併演する。そういうサービス精神がうれしい。なんだか得した気分にさせられる。しかも、『人を食った話』がとても面白いのだ。50年ほど前に劇団で上演した作品の再演だという話だ。50年って、もうそれだけで凄くないか! 老舗劇団ならではのスケールである。こちらはベテラン役者が織りなす3人芝居。本編である前者は若いふたりによる芝居。どちらも小さな作品なのだが、番外公演ならではのフットワークの軽やかさで、まるでタッチの違う2作品を同時公演させる劇団息吹の今の姿勢は素晴らしい。
『みかんによろしく』は 夏の終わりの夜更けの公園から始まる。そこで出会った二人の男女が、クリスマスソングが流れる冬の日にようやくお互いの名前を告げ合うまでのお話。とても興味深い設定である。社会的弱者の2人がこの世界のかたすみで偶然出会い、その身を寄り添わせる。それだけのことを幾度かの出逢いを通して見せていく。ラブストーリーなんだが、ラブストーリーとなる直前で止めてあるのもいい。
ただ、ストーリー展開が少しリアリティを欠く。出逢ったその日に彼を自分の部屋に誘うなんていう大胆な行為。だが、そこでリストカットして病院に運び込まれる。この衝撃的な展開に、そのインパクトほどのリアルがないのだ。惜しい。作者はどこまで彼女の心の闇を描こうとしたのかがわからない。彼女のちぐはぐな行為は、作者にとっては、確信犯的行為なのか、それとも描き方の不備なのか、どちらとも見極めがつきにくい。台本も演出もどこまで理解してこの作品を作っているのだろうか。
彼女の心の弱さを一種の病として捉え、そんな彼女をなんとかして支えてあげようとする彼(でも、彼の方が経済的には追い詰められているのだが)という図式が、もっと前面に出てもいい。2人の心がどんなふうにして通い合うのか。お互いに欠陥を抱えている。負い目がある。だから、それ以上に歩み寄れない。この芝居は、この両者へのコンセンサスがとれていないから、このドラマは信じきれない。どこまで描くつもりだったのだろうか?
これは全体的にはファンタジーでもいいのだ。ホームレスの青年が、心を病んだ女性と出逢い、お互い誰ひとり寄り添う者も、支えてくれる人もいない状況で、お互いに依存することなく、他者としてきちんと距離を置きながら、こわごわ接する。お互い30代の大人のはずなのに、一歩を踏み出すことも出来ないし、敢えてしない。誰かに依存することをお互い恐れている。にも関わらず、お互いが必要だとはっきりわかっているから、精神的には依存している。
公園での偶然の出会いをみかんと名付けた棄て猫を介して描き、そこに自分たちの姿を象徴させる。お互いが名乗り合うまでのドラマという枠組みも悪くはないし、描こうとしたことも好感が持てる。それだけに、もう少しリアリティーが欲しい。
女を演じた竹尾万菜さんの無防備な表情がいい。笑顔がひきつっているのもいい。周囲にバリアを張って、誰も寄せ付けない。だが、とても不安で、誰かに助けてもらいたい。そんな心情が彼女の表情から伝わる。彼女は自分で自分がよくわからない。自分の心を持て余している。幼いころに受けた心の傷。学校に行けなくなり、ひきこもる。ようやく立ち直ってなんとか生きてきたのに、小学生の頃彼女を傷つけた女と再会し、再び恐怖に怯える。相手はもう彼女にしたことなんか忘れているのに、である。この芝居はこういう設定を用意しながら、その先は描かないのだ。傑作になる素地は十分あるのに、なんだか、もったいない。
『人を食った話』は 終戦から数年経ったある日、東北地方の小さな町の検事局が舞台。婆ちゃん(パンフには「婆っこ」とある)は、なんだかよくわからないが、公務執行妨害や名誉棄損の罪で取り調べを受ける。でも、本人にはまるでそんな大それた行為を仕出かした気はない。大体なんで自分がここに呼ばれたのかもわからないまま、ただ、ひょうひょうと検事の問いかけに応える。そんな婆っこの態度に、検事の胃がキリキリと痛む。
この芝居は、こんな両者のすれ違いを描くコメディーなのだが、のんびりしたタッチがとても気持ちがいい。特に柳辺育子さんが素晴らしい。3人のアンサンブルも見事。これはある意味最高の贅沢だろう。
『みかんによろしく』は 夏の終わりの夜更けの公園から始まる。そこで出会った二人の男女が、クリスマスソングが流れる冬の日にようやくお互いの名前を告げ合うまでのお話。とても興味深い設定である。社会的弱者の2人がこの世界のかたすみで偶然出会い、その身を寄り添わせる。それだけのことを幾度かの出逢いを通して見せていく。ラブストーリーなんだが、ラブストーリーとなる直前で止めてあるのもいい。
ただ、ストーリー展開が少しリアリティを欠く。出逢ったその日に彼を自分の部屋に誘うなんていう大胆な行為。だが、そこでリストカットして病院に運び込まれる。この衝撃的な展開に、そのインパクトほどのリアルがないのだ。惜しい。作者はどこまで彼女の心の闇を描こうとしたのかがわからない。彼女のちぐはぐな行為は、作者にとっては、確信犯的行為なのか、それとも描き方の不備なのか、どちらとも見極めがつきにくい。台本も演出もどこまで理解してこの作品を作っているのだろうか。
彼女の心の弱さを一種の病として捉え、そんな彼女をなんとかして支えてあげようとする彼(でも、彼の方が経済的には追い詰められているのだが)という図式が、もっと前面に出てもいい。2人の心がどんなふうにして通い合うのか。お互いに欠陥を抱えている。負い目がある。だから、それ以上に歩み寄れない。この芝居は、この両者へのコンセンサスがとれていないから、このドラマは信じきれない。どこまで描くつもりだったのだろうか?
これは全体的にはファンタジーでもいいのだ。ホームレスの青年が、心を病んだ女性と出逢い、お互い誰ひとり寄り添う者も、支えてくれる人もいない状況で、お互いに依存することなく、他者としてきちんと距離を置きながら、こわごわ接する。お互い30代の大人のはずなのに、一歩を踏み出すことも出来ないし、敢えてしない。誰かに依存することをお互い恐れている。にも関わらず、お互いが必要だとはっきりわかっているから、精神的には依存している。
公園での偶然の出会いをみかんと名付けた棄て猫を介して描き、そこに自分たちの姿を象徴させる。お互いが名乗り合うまでのドラマという枠組みも悪くはないし、描こうとしたことも好感が持てる。それだけに、もう少しリアリティーが欲しい。
女を演じた竹尾万菜さんの無防備な表情がいい。笑顔がひきつっているのもいい。周囲にバリアを張って、誰も寄せ付けない。だが、とても不安で、誰かに助けてもらいたい。そんな心情が彼女の表情から伝わる。彼女は自分で自分がよくわからない。自分の心を持て余している。幼いころに受けた心の傷。学校に行けなくなり、ひきこもる。ようやく立ち直ってなんとか生きてきたのに、小学生の頃彼女を傷つけた女と再会し、再び恐怖に怯える。相手はもう彼女にしたことなんか忘れているのに、である。この芝居はこういう設定を用意しながら、その先は描かないのだ。傑作になる素地は十分あるのに、なんだか、もったいない。
『人を食った話』は 終戦から数年経ったある日、東北地方の小さな町の検事局が舞台。婆ちゃん(パンフには「婆っこ」とある)は、なんだかよくわからないが、公務執行妨害や名誉棄損の罪で取り調べを受ける。でも、本人にはまるでそんな大それた行為を仕出かした気はない。大体なんで自分がここに呼ばれたのかもわからないまま、ただ、ひょうひょうと検事の問いかけに応える。そんな婆っこの態度に、検事の胃がキリキリと痛む。
この芝居は、こんな両者のすれ違いを描くコメディーなのだが、のんびりしたタッチがとても気持ちがいい。特に柳辺育子さんが素晴らしい。3人のアンサンブルも見事。これはある意味最高の贅沢だろう。