野田秀樹の最新作に金蘭が挑戦した。事件から16年、今なぜオウム真理教なのか。その答えはちゃんとこの作品の中にある。出来ることなら野田地図によるオリジナルの舞台も見たかった。もちろん今回も金蘭の少女たちは大健闘している。
この難しい芝居に果敢に取り組み、見事討ち死にした。ここで見せたかったものを彼女たちがもし表現できたならと妄想する。でもそれは詮無いことだ。
小さな書道教室での物語のはずが、それがギリシャ神話の世界と重なる。やがて物語は更なる変容を繰り返しオウムへとつながる。念書で弟子を教導する家元のコミカルに見えるキャラクターは終始変わることはない。この教室に入って行方不明になった弟を捜すマドロミは、洗脳されたフリをして家元に取り入り、この書道教室という名の宗教団体の迷宮を彷徨う。
紙に書かれた文字で野田秀樹らしい語呂合わせが展開し、やがて血も凍るようなドラマを導くことになる。ラストのサリン事件を描く部分はいかにもな展開だが、やはり衝撃的だ。小さな話のはずが、日本を震撼させる大事件へとつながっていく。だが、これは事件の謎を追う劇ではない。どこにでも起こりうることとして、この書道教室を描くのだ。そして、何よりもまず、人の心の闇を描くのだ。おもしろい戯曲だ。だが、これはあまりに難し過ぎた。
実を言うと、作品の世界になかなかは入り込めなくて困った。高校生たちは全力で熱演しているのに、芝居が頭に入ってこない。セリフも、ドラマの構造もいつまでたっても明確にならないのだ。見ながらかなり焦った。それはこの作品の持つ強度を彼女たちが表現しきれていないからか。それとも僕が老化して理解力がなくなったからか。どちらとも言い難いところだ。確かに僕の集中力もなかったと思う。もともと野田秀樹の戯曲は理屈だけではわかりにくい。しかし、一番の問題は彼女たちの未熟な演技力である。作品を立たせることができなかったのだ。
だが、そこを責める気は毛頭ない。それどころか、ここまでよくやったと褒めてあげたい。厳しい言い方になるが、以前の金蘭会ならこんなことはなかったのに、今の彼女たちにはこれが限界なのだろう。この芝居はとても難しい芝居だ。生半可な技術ではこの作品を成立させることはできない。オウムを描いていると言いながらも、今それをやるためには表面的な事実を追うわけにはいかないし、野田秀樹にそのつもりはない。事件から16年を経て、そこには今オウムを描くための距離感がある。今だからこそよりあの事件を客観視出来る。それがこの作品のポイントとなる。しかし、それを高校生が表現できるかと言えば、困難だ、としか言いようがない。ストレートにストーリーの流れを追いかけるタイプの芝居ではない。キャラクターが横滑りしていく重層的なドラマは演じる側から見ると、とても掴みどころがないことだろう。大声で体全身を使って熱演すればするだけ反対に芝居が単調になり空回りしていくことになる。これでは彼女たちにはもうお手上げである。
作品としての完成度は決して高くはない。しかし、この困難な台本に取り組み、2時間半に及ぶ作品を最後まで集中を切らすことなく見せきることができた。それだけでも立派だ。今まで以上の困難に挑戦し、たとえ自爆しても悔いはないという覚悟でこの大作に挑む。しかも、舞台に上がるキャストのうちの半数が新1年生という陣容で無謀にもチャレンジした。だから、この作品は彼女たちの恐れを知らない若さの勝利だと言っても過言ではない。
この難しい芝居に果敢に取り組み、見事討ち死にした。ここで見せたかったものを彼女たちがもし表現できたならと妄想する。でもそれは詮無いことだ。
小さな書道教室での物語のはずが、それがギリシャ神話の世界と重なる。やがて物語は更なる変容を繰り返しオウムへとつながる。念書で弟子を教導する家元のコミカルに見えるキャラクターは終始変わることはない。この教室に入って行方不明になった弟を捜すマドロミは、洗脳されたフリをして家元に取り入り、この書道教室という名の宗教団体の迷宮を彷徨う。
紙に書かれた文字で野田秀樹らしい語呂合わせが展開し、やがて血も凍るようなドラマを導くことになる。ラストのサリン事件を描く部分はいかにもな展開だが、やはり衝撃的だ。小さな話のはずが、日本を震撼させる大事件へとつながっていく。だが、これは事件の謎を追う劇ではない。どこにでも起こりうることとして、この書道教室を描くのだ。そして、何よりもまず、人の心の闇を描くのだ。おもしろい戯曲だ。だが、これはあまりに難し過ぎた。
実を言うと、作品の世界になかなかは入り込めなくて困った。高校生たちは全力で熱演しているのに、芝居が頭に入ってこない。セリフも、ドラマの構造もいつまでたっても明確にならないのだ。見ながらかなり焦った。それはこの作品の持つ強度を彼女たちが表現しきれていないからか。それとも僕が老化して理解力がなくなったからか。どちらとも言い難いところだ。確かに僕の集中力もなかったと思う。もともと野田秀樹の戯曲は理屈だけではわかりにくい。しかし、一番の問題は彼女たちの未熟な演技力である。作品を立たせることができなかったのだ。
だが、そこを責める気は毛頭ない。それどころか、ここまでよくやったと褒めてあげたい。厳しい言い方になるが、以前の金蘭会ならこんなことはなかったのに、今の彼女たちにはこれが限界なのだろう。この芝居はとても難しい芝居だ。生半可な技術ではこの作品を成立させることはできない。オウムを描いていると言いながらも、今それをやるためには表面的な事実を追うわけにはいかないし、野田秀樹にそのつもりはない。事件から16年を経て、そこには今オウムを描くための距離感がある。今だからこそよりあの事件を客観視出来る。それがこの作品のポイントとなる。しかし、それを高校生が表現できるかと言えば、困難だ、としか言いようがない。ストレートにストーリーの流れを追いかけるタイプの芝居ではない。キャラクターが横滑りしていく重層的なドラマは演じる側から見ると、とても掴みどころがないことだろう。大声で体全身を使って熱演すればするだけ反対に芝居が単調になり空回りしていくことになる。これでは彼女たちにはもうお手上げである。
作品としての完成度は決して高くはない。しかし、この困難な台本に取り組み、2時間半に及ぶ作品を最後まで集中を切らすことなく見せきることができた。それだけでも立派だ。今まで以上の困難に挑戦し、たとえ自爆しても悔いはないという覚悟でこの大作に挑む。しかも、舞台に上がるキャストのうちの半数が新1年生という陣容で無謀にもチャレンジした。だから、この作品は彼女たちの恐れを知らない若さの勝利だと言っても過言ではない。