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映画・演劇のレビュー

椎名誠『そらをみてます ないてます』

2012-01-20 21:00:27 | その他
 『黄金時代』に続く作者の自伝的長編小説。帯には「『黄金時代』を超える」と書かれてある。まぁ、それほどの渾身の一作なのだ。椎名さんは人生の総決算としてこの作品に取り組んだはずだ。自分の人生のクライマックスはどこだったのか、を考え、それを小説として書きあらわす作業は結構勇気がいることだったはずだ。まだ、人生は終わったわけではない。だが、60代の後半戦に入り、改めて自分の人生を振り返ったとき、自分の一生ってなんだったのか、誰もが考える。作家である彼がそれを小説として描くのは当然の行為なのだが、それはもっと晩年に取っておいてもいい、とも考えるはずだ。どこで線引きをして、けじめをつけるのかは判断が難しい。

 今、椎名さんはこういう小説を書いてしまった。それは正しいことだったかはよくわからない。まぁ、人生なんかそんなものだ。何が正しくて何が間違いなんかなんか、わからない。今回のスタイルだってそうだ。このやり方が正しかったかどうだか。今回、時間軸に沿って描かなかった。1964年、東京オリンピックの年を中心にして、あの時、彼が何を思い、何を考えたのか、20歳前後の時間であるそこを軸にして描くエピソ-ドと、88年から遡り、82年までの4つの旅を描くエピソードとを交互に見せながら、彼の今ある人生のスタート地点である時間に至るドラマとしてこの2つの時間軸に沿ったエピソードを出会わせる。パタゴニアへの旅。アラスカへの旅。ソ連のタイガへの旅。そして、彼の夢であった桜蘭への旅。40歳と20歳という2つの時間を往還して、語られる。

 東京オリンピックが開催された年。日本中が浮かれていた。高度成長期へのプレリュード。未来が見えない青年だったシーナさんが(主人公は松尾イサムくんだが)見たこと、感じたことが描かれていく。過酷な肉体労働に明け暮れる日々。貧しさを殊更意識するでもなく、ただその日暮らしに精一杯で、自分がこの後どうなるのか、なんてわからないまま必死に生きていた時代。そこでひとりに女の子と出会うまでのドラマだ。(もとろん、それは彼の妻となる女性だ)

 過酷な極致への旅を通して、生死の境を何度も体験する。これまでもエッセイや紀行文で散々書いてきたことだが、それがここにもう一度フィクションのスタイルを装い描かれる。この3人組の物語は、特別ドラマチックではない。実際はかなりドラマチックなのだが、この小説はその事実を淡々と追いかけることに留める。フィクションとして、面白おかしく書くことを禁じる。これはそういう冒険活劇ではないからだ。それにそういうものは名作『パタゴニア』を初めとする数々の作品の中で、散々既に書いてある。そうではなく、これは椎名さんの考える「純文学」作品である。ここで大事なことは物珍しい冒険ではなく、ひとりの男が何を考え、何を認めたのか、という魂の軌跡なのだ。

 終盤の展開は、少しつまらない。妻との部分は書き足らない。まだ、書けなかったのかもしれない。ちょっと端折ってしまった気がする。だが、まだどういう風にこのお話をまとめ上げたならいいのか、本人にもわからなかったのではないか。

 椎名さん自身が、まだ、人生の途上にある。だから、このお話は終わらない。きっとそういうことなのだ。いささか中途半端なことは仕方ないのかもしれない。


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