鏡は何を映すのか。鏡売りによる象徴的なシーンから始まる。「娼館」という狭い世界とそこを囲む上海租界という同じように狭い世界。だが、その背後には茫洋とした巨大な「世界」が広がる。これは、「未来のない男」と「未来を知らない女」とのラブストーリーとしても読める。彼女は、言葉だけではなく、目も奪われる。2人の女のナレーションにより話は展開していく。テンポがよくなり、ドラマに弾みができる。説明的なドラマはいらない。
『O嬢の物語』を下敷きにした寺山修司の映画『上海異人娼館』、それを原案に三名刺繍が書き下ろしたオリジナルだ。それを佐藤香聲が自由に舞台化した。カナリア条約での2度の公演を踏まえて、今回近鉄アート館へとステージを移し、この広い空間を縦横に使い切る壮大なパフォーマンスに仕立てた。
混沌の極みにある1920年代上海租界。テロリストたち、人民戦線、さまざまな国からやってきた男。いくつもの思惑が交錯する場所。アヘン中毒の女。娼婦たち。そこに連れてこられ、預けられた女。どれだけ他の男からおもちゃにされてもいいが、愛するが故、自分一人のものにするのではなく、性の奴隷にするという男。たまたま目にした、視線を交わしただけのその女に心惹かれ、彼女を純粋に愛する男。そんな3人を主人公にした。
これはまず、ショウである。これだけの美しいパフォーマンスをこんなにも妖しく、刺激的で、どこまでも続く迷宮で、同じところをひたすらぐるぐる回り続ける悪夢として見せる。圧倒敵な音と光のシャワーの中で、僕たちは魔都上海の闇の奥にある迷路へと迷い込み、そこから逃げ出せない。
マネキンのように無言で、無表情の女。男のいいなりになり、ここに連れてこられ、ここで男たちに体を開く。そんな女を連れ出そうとする男。上海が世界から蹂躙されている時代。列強に加わり、上海を解放すようとする日本。しかし、そんなこと、誰も信じていない。ただ自分たちの私利私欲のため、上海からアジアを解放し、やがてはアジアの独立を目指す。明日死ぬ男はそこから女を連れ出す。彼女を飼育する男との相克。これはまず愛と政治のドラマとして作られる。
そこにいろんな人々の思惑が入り乱れていく。20人に及ばんとするダンサーたちによるパフォーマンス。ここに蠢く女たちのショウケースのような見せ方をする。圧倒的な個人の力とアンサンブル。その組み合わせで見せ場を満載にしても、大丈夫。劇としての構図がしっかりしているから、その骨格以外は余白だらけでいい。そこを音と明かりとパフォーマンスでみせる。退廃的で耽美的、きらびやかで華やか、そんな上海の夜をここに見せる。個々のパフォーマーの見せ場をちゃんと用意するから、全体のテンポが悪くなるし、同じことの繰り返しで堂々巡りの様相を呈するけど、佐藤さんはまるで気にしない。悠々たるタッチで一瞬もためらいなく、最後まで駆け抜ける。たった100分間のステージでこれだけの満足感を与えるのだ。これは凄い作品だ。