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映画・演劇のレビュー

いしいしんじ『よはひ』

2016-02-26 23:05:18 | その他

 

いしいしんじ『よはひ』、と、ひらがなが並ぶ。よはひ、ってなんなんだ、と気になるけど、説明なし。想像は充分できるし、読んでいると、そうだろう、と確信が持てるから、いい。もちろん、作者のねらい通り、そのわけは書かない。 (「弱い」じゃなくて、「夜這い」でもなくて、「よはひ」は、「齢」でもない)

昨年話題になった『港、モンテビデオ』には乗り切れなかった。途中で読むのがつらくなった。だけど、今回はスタイルもよく似ているけど、乗れる。この両者の違いはなんだぁ? かなり微妙なラインで、僕の個人的なものかもしれないけど。

ここに描かれる伸び縮みする時間が心地よい。お話好きの子供と父親。27編からなるお話の連鎖。そのひとつひとつがなんとも心地よいのだ。夜寝る前に1日1篇ずつ読んだら、1ヶ月持つ。そんな小説なのだ。結構重いから、持ち運んでどんどこ読むには適さない。でも、ついついどんどん読んでしまった。惜しいことをした。

 

2歳5カ月のピッピが5歳になるまでのお話なのだから、2年半かけて読むべきなのだろう。作者はちゃんと2年半かけて書いたのに、読むのは5日、って、なんだかなぁ、である。こどもの時間は長いけど、大人の時間は短い。だから、人は年を取るとどんどん加速する。子どもの頃1日があんなに長かったし、充実していたのに、今は何もしないのに、どんどん時間は過ぎていく。というか、何もしないからすぐに過ぎていくのかもしれない。なのに毎日、忙しい、忙しいと連呼している。こどもの頃はあんなに毎日退屈で暇だったのに。

 

もっと大きな流れの中で時間やこの世界をみつめてみよう。あれも、これもと、欲張っても何も残らない。のんびりと目の前のものをしっかりとみつめよう。先日、(と、いってももう2カ月以上前になるけど)娘に赤ちゃんが生まれて、東京まで会いに行った。東京といいつつも、そこは埼玉に隣接していて、少し歩くと、埼玉にも行ける。彼女と彼女の夫が赤ん坊と過ごす家で、3日間過ごした。そこではふだんとはまるで違う時間が流れている。生後1カ月にならない赤ちゃん(当時。今はもう4カ月になる)を見ていると、そこだけで世界が完結する。世界の中心に彼女はいる。僕たちは彼女の周りにある衛星だ。

 

赤ん坊と過ごした時間の中で、僕は何も考えず、何もしない人として、その家で時間をすごす。芝居も見ないし、映画も見ない。TVなんかもちろん見ない。(ふだんからTVは見ないけど、ここではニュースすらほとんど見なかった)新聞も(この家は新聞を取らない)読まない。そんな3日間は、とてつもなく、退屈で充実していた。

 

『おはひ』を読みながら、いしいしんじは、赤ちゃんと過ごす日々の中で、今までの時間ではない時間を過ごす。それが今の彼の小説の中で描かれている。京都という彼の選んだ住処は、時間が止まった特別な場所だ。古いものが古いままでずっとある。町中でも夜は暗い。

 

『0歳の旅人』というお話がいちばん好きだ。旅する気分について書かれてある。確かにそうだ。旅の場所では僕たちは0歳になる。0歳の目でそこをみつめる。そんな時間が旅の醍醐味だ。たとえ同じ場所に行っても、そのたびリセットされるのが旅なのだろう。

生きていると、時間をどんどん旅することになる。でも、その時間は人によってさまざまだ。ここに小さな男の子ピッピがいる。彼とともに時間を旅する。そうすると、時間はそんなふうに動いているのか、と改めて実感できる。(時間だから、実感なんていう、だじゃれではない)もう少し大きくなったら、我が家の凜ちゃん(娘の子どもの名前ね)とふたりで散歩に行きたい。

 

 

 


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