「誰も近づかない不思議な洞窟」なんて、絶対に家の近所にはないです。それに「地底人がいる」なんて噂は、今時子どもでもしません。きっと。
と、いうことで、この芝居は根本的なところからまず勘違いしてる。でも、そのとんでもない勘違いから発想して、ありえない世界に僕たち観客を導くというのは、芝居ならではの戦略かもしれない。
作、演出の永富義人さんはこの芝居のバカバカしさなんて、十分承知の上でこの作品を作ったのだろう。だが、自分の提示したネタに対して自虐的になるのではなく、かなりノーマルに芝居を展開していく。正直言うとかなりやばい。これは「つまらない」と切り捨てるギリギリのところだろう。
3話からなるオムニバス・スタイルだが、それぞれの話が微妙にリンクしていく。同じ場所を舞台にした別々の話のはずが、後半では微妙に重なり合い、しかも時空もほんの少しずれながら、交錯する。なんとも不思議な世界を見せてくれる。これはどこまでが確信的行為なのか、よくわからない。くだらないおふざけのような話だが、このテンションの低さは、この作品をくだらないコントまがいの芝居からなんとか作品を救っている。
最初の洞窟探検隊の話では、ここがまるで辺境の未開地であるように思わせる。だが、実はここはそんなにも、僻地ではなく、だから、そんなとこを探検して本当に地底人の発見なんか可能なのか、と突っ込みを入れたくなる。その瞬間に、次のエピソードに移る。なんと芝居の稽古場として、この洞窟を使うという。完全にここは日常と背中合わせの空間になる。さらには、次のエピソードでは白木屋の店員たちの秘密のデート現場になり、なにもこんなところで、デートしなくてもいいでしょ、と思わせる。しかも、3角関係のもつれだし。
バカバカしさはどんどんエスカレートしていくのだ。それを淡々と見せていく。先にも書いたがこの体温の低さが救いだ。もし、テンション高くこれをやられると、見ていられなくなる。くだらない話を、ありえないシチュエーションで、無理やりしていくことを通して、なんとも不思議な空間を形作る。しかも、どう考えても、ここが同じ場所には見えない設定だ。整合性のなさはきっと作為的な行為だろう。劇団ヤンバルクイナの、もとメンバーや、今も2人で活動する現役と、新たに入団して、ともに活動しようとするメンバーが交錯していくところから、実はこの芝居が3つの時間を超えてひとつのあり得ない虚構の場所で出会う物語を目指したのではないか、なんて考える。
でも、それは僕が考えるだけで、芝居はそんな仕掛けを用意はしていない、気がする。ドラマのまとめ方、落とし所がもう少しきちんと決まったならば、おもしろい芝居になったのかもしれない。残念だ。
と、いうことで、この芝居は根本的なところからまず勘違いしてる。でも、そのとんでもない勘違いから発想して、ありえない世界に僕たち観客を導くというのは、芝居ならではの戦略かもしれない。
作、演出の永富義人さんはこの芝居のバカバカしさなんて、十分承知の上でこの作品を作ったのだろう。だが、自分の提示したネタに対して自虐的になるのではなく、かなりノーマルに芝居を展開していく。正直言うとかなりやばい。これは「つまらない」と切り捨てるギリギリのところだろう。
3話からなるオムニバス・スタイルだが、それぞれの話が微妙にリンクしていく。同じ場所を舞台にした別々の話のはずが、後半では微妙に重なり合い、しかも時空もほんの少しずれながら、交錯する。なんとも不思議な世界を見せてくれる。これはどこまでが確信的行為なのか、よくわからない。くだらないおふざけのような話だが、このテンションの低さは、この作品をくだらないコントまがいの芝居からなんとか作品を救っている。
最初の洞窟探検隊の話では、ここがまるで辺境の未開地であるように思わせる。だが、実はここはそんなにも、僻地ではなく、だから、そんなとこを探検して本当に地底人の発見なんか可能なのか、と突っ込みを入れたくなる。その瞬間に、次のエピソードに移る。なんと芝居の稽古場として、この洞窟を使うという。完全にここは日常と背中合わせの空間になる。さらには、次のエピソードでは白木屋の店員たちの秘密のデート現場になり、なにもこんなところで、デートしなくてもいいでしょ、と思わせる。しかも、3角関係のもつれだし。
バカバカしさはどんどんエスカレートしていくのだ。それを淡々と見せていく。先にも書いたがこの体温の低さが救いだ。もし、テンション高くこれをやられると、見ていられなくなる。くだらない話を、ありえないシチュエーションで、無理やりしていくことを通して、なんとも不思議な空間を形作る。しかも、どう考えても、ここが同じ場所には見えない設定だ。整合性のなさはきっと作為的な行為だろう。劇団ヤンバルクイナの、もとメンバーや、今も2人で活動する現役と、新たに入団して、ともに活動しようとするメンバーが交錯していくところから、実はこの芝居が3つの時間を超えてひとつのあり得ない虚構の場所で出会う物語を目指したのではないか、なんて考える。
でも、それは僕が考えるだけで、芝居はそんな仕掛けを用意はしていない、気がする。ドラマのまとめ方、落とし所がもう少しきちんと決まったならば、おもしろい芝居になったのかもしれない。残念だ。