GW中3度劇場に行った。毎回満席で見れなかった。しかたなく3度目は立ち見で見ることにした。小さな劇場でしかしていないし、テアトル梅田でしか見れないから、というのもあるのだろうけど、それにしても凄い盛況ぶりだ。『希望の灯り』にもわけてあげたい。今はほとんどの劇場は座席指定定員制なので立ち見はないのだけど、テアトル梅田はちゃんと入れてくれる。劇場サイドの壁にもたれて地べたに座って見た。近年稀にみる貴重な体験だ。10年ほど前同じようにこの劇場で立ち見して以来。
さて、映画だ。
主人公の岸井ゆきのが演じる女のイタさがズキズキするくらいに伝わってくる。共感というのとは少し違うのだけれども、彼女を拒絶できない。痛ましいくらいにそのストレートな想いは胸に響く。恋愛映画なんてもう興味ないけど(そんな歳になってしまった!)彼女の一途な想いは恋愛ではなく人間として納得する。その理不尽な片想いを応援するのではなく、彼女の純粋さを応援する。彼女が好きになる男は(成田凌)はどう考えてもつまらない男だ。でも、そんなこと彼女には通じない。だまされているとかいうのでもない。自分の気持ちに正直なだけ。この想いは伝わることはない。いや、伝わっても成就しない。だって彼は彼女が好きではないからだ。人の気持ちをどうにかすることはできない。どうしようもないことをどうにかしようとしても詮無いだけだ。
これを切ない片想いとして受け止めるほど、映画は単純ではない。先にも書いたが「共感」を求めてるのではない。彼女は想いのまま行動するだけだ。それが幸福へと続くわけではないことなんか自分でもわかっている。むなしい行為であろうとも、くじけない。
彼女の周囲の人物描写もおもしろい。彼女の親友、その恋人志望の男友達、彼女が好きになる男の恋人。この岸井、成田周辺の3人が実に面白い立ち位置にいる。だから都合5人のお話になっている。主人公である彼女を世界の中心にして、その周囲に衛星のようにいる4人という図式から立ち上がる世界は僕たちが生きているこの世界のひとつの縮図になる。この5人がやっていることは実はみんな同じことだ。正反対が実は同じ。アップサイドダウンの構図。混沌として混乱してくる。ぶれないのは岸井のみ。でも、彼女が強いというわけではない。何があろとも「好き」が変わらないのだ。頑固でバカ。そんな彼女を通して僕たちは好きって何なのか、と考えさせられる。めげないことではない。彼女は十分めげている。でも、正直は変わらない。なんだかよくわからなくなる。そのわけのわからなさが魅力になる。ここまで変わらないでいるって凄い。