2年前の『わんころが揺れ雲をめぐる冒険』の続編。この微妙なタイトルの差異。中島悠紀子さんは再演でも、続編でもないもうひとつの『わんころ』の物語を目指す。今回は前作で描けなかったその先を描く。進化した『わんころ』の行き着く先はどこにあるのか。
阪神大震災を描く。あの頃少女だった中島さんにとって、あれはいったい何だったのか?まずそこから始まる。神戸にいながら被災したわけではない。自分たちの周辺は無事だった。でも、その外は凄いことになっていたという体験が彼女の根底にはある。周囲の目と、当時の自分の違和感。そんな経験がその後の生き方にどんな影響を与えたのか。今、もう一度あの頃の思いを追体験することで、見えてくるものを描きたい。
お話はとてもストレートで、象徴的。「魔物」が彼女たちの住む町の、隣町を襲った。隣町からたくさんの被災者が流れ込んでくる。これはそこで出会った3人のお話だ。3人の抱えるそれぞれの問題がもっと明確に描かれてもよかった。だが、その境界線が微妙なのだ。独立性がない。視点を定めたならもっとわかりやすい芝居になったはずなのに、敢えてそうはしない。わかりにくい芝居を目指すようなのだ。わんころたちもそうだ。彼らは様々な役を担う。ある種のコロスでもある。だが、3人と、彼らの関係性すら曖昧で、視点はさらに分断されてしまう。
語り口はやさしい昔話(でも、それは過ぎ去った「過去」のことではない!)だが、描き方はとても大胆。芝居が始まったとき、いきなり主人公が舞台中央でしゃべれなくなる。すると、客席からヤジが飛ぶ。客は舞台上にあがってきて、ののしる。越境してくるのだ。もちろん客ではなく彼らは役者なのだが、役者が客席にいて、客のふりして芝居に関与してくるところから、芝居自体が始まる。客いじりをする芝居は時々あるけど、ここまで客席に芝居が入り込むことはまれではないか。しかも、客席が舞台になり、舞台が客席になる逆転が何度となく起こる。ここに描かれている出来事は遠くの出来事ではなく、自分たちの身の周りの出来事なのだ。安全圏でのんきに芝居を見ているわけにはいかない。最後には主人公はこの劇場から出ていく。取り残されたほかのキャストと観客たちは呆然とするしかない。
作品の中心にあるには小学生たちの日常のスケッチである。でも、そこにある不穏な空気、障害者の問題にもメスを入れる。視点があちらこちらに移り変わり、定まらない。もちろん、小学生たちのその後とも交錯する。そんな混沌も含めて作者の意図だ。「阪神大震災」を起点にして、そこにとどまらず、少女をめぐる様々な問題を投げ込んで見せる。だからこの混沌自体がテーマではないか、と思うほどだ。
必ずしも見やすい芝居ではない。転校生、秘密基地、友情。よくあるお話のベールをかぶっているけど、そこにあるはずの心地よさとは無縁だ。それはノスタルジアではなく、そこには今に続くトラウマが描かれるのだから当然のことだろう。ただここには確かな中島さんの痛みが感じられる。そこからの決別と、旅立ちが、誠実に伝わってくる。決して暗い芝居ではない。この重くて哀しいお話の先には未来がある。
阪神大震災を描く。あの頃少女だった中島さんにとって、あれはいったい何だったのか?まずそこから始まる。神戸にいながら被災したわけではない。自分たちの周辺は無事だった。でも、その外は凄いことになっていたという体験が彼女の根底にはある。周囲の目と、当時の自分の違和感。そんな経験がその後の生き方にどんな影響を与えたのか。今、もう一度あの頃の思いを追体験することで、見えてくるものを描きたい。
お話はとてもストレートで、象徴的。「魔物」が彼女たちの住む町の、隣町を襲った。隣町からたくさんの被災者が流れ込んでくる。これはそこで出会った3人のお話だ。3人の抱えるそれぞれの問題がもっと明確に描かれてもよかった。だが、その境界線が微妙なのだ。独立性がない。視点を定めたならもっとわかりやすい芝居になったはずなのに、敢えてそうはしない。わかりにくい芝居を目指すようなのだ。わんころたちもそうだ。彼らは様々な役を担う。ある種のコロスでもある。だが、3人と、彼らの関係性すら曖昧で、視点はさらに分断されてしまう。
語り口はやさしい昔話(でも、それは過ぎ去った「過去」のことではない!)だが、描き方はとても大胆。芝居が始まったとき、いきなり主人公が舞台中央でしゃべれなくなる。すると、客席からヤジが飛ぶ。客は舞台上にあがってきて、ののしる。越境してくるのだ。もちろん客ではなく彼らは役者なのだが、役者が客席にいて、客のふりして芝居に関与してくるところから、芝居自体が始まる。客いじりをする芝居は時々あるけど、ここまで客席に芝居が入り込むことはまれではないか。しかも、客席が舞台になり、舞台が客席になる逆転が何度となく起こる。ここに描かれている出来事は遠くの出来事ではなく、自分たちの身の周りの出来事なのだ。安全圏でのんきに芝居を見ているわけにはいかない。最後には主人公はこの劇場から出ていく。取り残されたほかのキャストと観客たちは呆然とするしかない。
作品の中心にあるには小学生たちの日常のスケッチである。でも、そこにある不穏な空気、障害者の問題にもメスを入れる。視点があちらこちらに移り変わり、定まらない。もちろん、小学生たちのその後とも交錯する。そんな混沌も含めて作者の意図だ。「阪神大震災」を起点にして、そこにとどまらず、少女をめぐる様々な問題を投げ込んで見せる。だからこの混沌自体がテーマではないか、と思うほどだ。
必ずしも見やすい芝居ではない。転校生、秘密基地、友情。よくあるお話のベールをかぶっているけど、そこにあるはずの心地よさとは無縁だ。それはノスタルジアではなく、そこには今に続くトラウマが描かれるのだから当然のことだろう。ただここには確かな中島さんの痛みが感じられる。そこからの決別と、旅立ちが、誠実に伝わってくる。決して暗い芝居ではない。この重くて哀しいお話の先には未来がある。