なんだか気になる不思議なタイトルだ。舞台美術が作品に先行して作品作りがなされたというのもなんだか不思議。竹腰かなこさんにまずプランを自由に作ってもらってそこから得たインスピレーションをもとに台本を書き起こした。舞台装置に合わせて芝居作りをした。
何重にもなる(舞台上に3つ、客席にまで作られてある)細胞膜を思わせるアーチ。そこは3人の女性がそれぞれ暮らしている3室の部屋。あるいは水族館の水槽のガラス、さらには駅のホームと車両。隣合わせの3室。水槽の向こうとこちら。あちらのホームとこちらのホーム。その3つの場所を往還して芝居は展開する。
ひとりぼっちの部屋から隣を伺う。ここは線路が近いから電車の音が聞こえる。水槽の魚たちを眺める。夜の月を見る。駅のお酒のポスターの中の丸い氷と重なる。そんなさまざまなイメージの連鎖がつながりひとつの世界を作る。そこからは彼女たちが抱える孤独が静かに、確かに伝わってくる。こんなにも近くにいるのに彼女たちはお互いを知らない。
イメージの連鎖は無軌道ではなく、3つの世界にしっかり収まる。だが明確なストーリーはない。観念的なドラマは独りよがりに陥ることはない。こんなにも自由で寂しい世界で生きる人生の初心者である少女たち。彼女たちは永遠に続く日々と向き合う。
清風南海高校演劇部のOGたちが立ち上げた劇集団。これは今年のウイングカップの最後を飾る佳作。