習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『Myway Highway マイウェイハイウェイ』

2010-12-15 17:59:32 | 映画
 ウルフルズを解散したトータス松本が音楽プロデューサーの須藤晃と2人でアメリカに行き生活する。1ヶ月間2人で暮らしながら、新しい音楽を作る。その姿を完全密着ドキュメントする。それで1本の映画にする、という企画だ。スタッフを引き連れて常にカメラを意識して、そこから新しい可能性なんてものを生み出すことができるのか。よくわからない。撮り貯めた映像から1本の映画が作れるという可能性はかなり低い気がする。強引に1時間半くらいのドキュメンタリー映画もどきにまとめることは出来ないわけではなかろうが、そうして作ったものが鑑賞に耐え得るかは、未知数だ。

 かなりのリスクを抱えてのスタートだったのだろう。台本もないし、何が撮れるのか、わからない。でも、作ると決めたのだからやってみるしかない。見る方もかなり怖い。とんでもない独りよがりなものになる可能性は大だ。でも、劇場公開するのだから、かなりの手ごたえがあるのだろう。

 先のことがまるで見えない映画である。ただのホームビデオですらないものに、なる、かもしれない。大スクリーンに耐え得る映像とはとても思えないような展開である。見ながら、こっちが怖かった。こんなものを見ている自分が、である。ウルフルズのファンでもないし、トータス松本のことをよく知ってるわけでもない。ただ、このとんでもない企画から立ちあがった映画を怖いもの見たさで目撃したかった、ただそれだけだ。

 スーパーで買い物をするトータスの描写から始まる。自分たちが暮らす部屋に帰ってくる。須藤とどうでもいいような話をする。それをただ撮ってる。事件はない。毎日のスケッチである。そんな中から、新しい曲作りを始める様子が描かれていく。男同士で暮らす時間。その風景。それをなんの工夫もなく見せていく。ここまでそっけないドキュメンタリーはない。ヤバいのではないか、と思った。でも、もう見始めたのだから仕方ない。行きつくところまで見るしかない。

 観光案内のガイドを買って出る役者志望の青年と、彼の好きだった女の人を訪ねるエピソードが唯一ドラマらしいドラマなのだが、そんなことはトータスの生き方とは関係ない。須藤と険悪になるラスト近くのエピソードもなんだかわざとらしい。

 監督は須藤自身ということになっているが、彼がこの映画をどう見せたいのかはまるで伝わらない。これでは映画とは言えないしろものだ。タイトルである「Myway Highway」という言葉に対する松本の解釈が2度繰り返される。言わんとすることは充分わかる。だが、それはただの言葉だ。この映画がそれを描けたとは言えない。

 何ができるのかわからないままカメラを回し、映ったものを編集して、はい出来あがり! と言われても、なんとも言いようがない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 | トップ | 三角フラスコ+yunbo『こ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。