このタイトルが読めなかった。チラシの独特の字体と配置。「や」と「お」の文字が小さいから、「しんじゃう」は「心情」なのか、と思った。最近、自分が迂闊なのだろうけど、ちゃんとタイトルが読めないことがよくある。先日は和歌山大学演劇部の『プレジエンド』を「プレジデント」だと、ずっと思い込んでいたし。今回も、芝居を見ながら、「死んじゃうお部屋」なんだ、と気づくという体たらく。でも、これは「死んじゃうお部屋」という、なんだか、とてもふざけた内容を思わせるタイトルからは遠く離れた真面目な作品で、この生真面目さが息苦しい。
でも、内容が内容だけに、これはちゃんと息苦しいものでいいのだ、と思う。3話からなる連作長編。死刑執行室が舞台となる。だから、これは確かに「死んじゃうお部屋」なのだ。
刑務官たちによる死刑の予行演習を描く1話は十分笑える展開にもできるのだが、そうはしない。なんだか、重苦しい。最初はなんだか居心地の悪い芝居だな、と思いながら、見る。死刑執行時のスイッチの異常のため(それって、まずいでしょ)やってくる3人の電気工事士。2話目は少し軽いタッチにも見える。電気工事に来た彼らが部屋に閉じ込められる。だが、パニックに陥る前にすぐに鍵は開けられる。3話目では1話で死刑にされた男の最期が描かれる。でも、それは死ぬ瞬間ではない。その直前の出来事だ。彼に殺された人たちが、ここにやってくる。このお話が一番わかりやすい。よくある芝居の展開だからだ。安心する。
だが、全体的には、実に不穏だ。バランスが悪い。その気持ち悪さがこの作品の身上だ。作、演出の南参は、じつに意地が悪い。コメディタッチになんかすることなく、コメディにするのが妥当な展開で重く、暗いタッチで、見せていく。尾心地の悪さを押しつけてくる。最初は下手なのか、と思うくらいに微妙。でも、明らかにこれは確信犯だ。おさまりのいい最後のエピソードで全体を鮮やかにまとめあげる。だが、そこでもスマートさとは無縁だ。そこまでしても残る居心地の悪さ。それこそが、彼らの持ち味なのかもしれない。
敢えてこれは死刑制度を巡るお話ではない。死刑執務室という特別な場所を巡るお話にとどめるのだ。その独自の美意識が素晴らしい。この絶妙な(でも、どちらかというと、微妙に崩れている)バランス感覚が見事なのだ。チラシにあるコピー「じゃぁ、お前は人殺しの気持ちがわかるのか?」という問いに対して、「わからんよ」としれっと答えるような芝居である。