ここまで凄まじい内容だとは思いもしなかった。全体の作り方がちょっとゆるくて、リアルというよりもファンタジーに近い感じの作りとなってはいるが、内容の重苦しさゆえ、このくらいにしなくては、とても正視できない。変態的誘拐犯による虐待によって心が壊れてしまった少年少女が、事件から10年後の今をどう生きるのかを描く青春映画。原作は漫画ではなく小説でライトノベルというらしい。なんと100万部を超えるベストセラー。それにしてもこの題材がライトノベルか!(どんなものをそう呼ぶのかはよく知らないが)
故意にしているというよりは、力量のなさから、ディテールを詰め切れないようにしか見えない作り方は、この映画の救いとなっている。もしこれが園子温ばりのえげつない作りだったり、重厚なリアリズムで描いてしまったりしたら、傑作になったかもしれないが、瀬田なつき監督が目指すものからはずれてくる。これはあくまでも救済の物語なのだ。
完全に壊れてしまったまーちゃん(大政絢)の心を取り戻すのではなく、そんな彼女に永遠に寄り添うことで、添い遂げようとする少年みーくん(染谷将太)の無辜の心に触れるための映画なのだ。(だから、それ以外のことにはこの際一切目をつむる。作品のアンバランスや、稚拙さを指摘しても仕方ない。)彼は『春琴抄』の佐助のような存在だ。だがそれは彼女への愛からではない。贖罪である。幼い頃、自分の父親(彼が誘拐監禁犯)の行為を見ても何も出来なかった。だから、今、やれる限りのことをする。だが、それは義務ではなく、やはり彼女への愛なのかもしれない。
彼は何度でも繰り返す。彼女が忘れてしまうことで、生きていられるのなら、自分のことを忘れてもかまわない。そのたびまたやってきて、最初からやり直す。彼女を守るため。7歳の頃、誘拐され監禁され、閉じ込められた小屋の中で暮らした。助けに来た両親も目の前で殺される。しかも自分の手で親の殺人に荷担させられる。その時から彼女は「現実」を完全にシャットアウトする。生きているのに、もう生きていない。心が死んでしまったのだ。そんな彼女を嘘をつくことで守ろうとするのはみーちゃんだ。彼は自分を偽り、彼女に寄り添う。本当は犯人の息子なのだが、同じように監禁されていてひとり逃げ出した本物のみーくんになり変わり、彼としてまーちゃんを守る。
鈴木卓爾演じるサイコ男の背景がまるで描かれない。いくらなんでもあれではこの映画が成立しない。誘拐の件で訪ねてきたみーちゃんの両親を金槌で殴るシーンは衝撃的だ。だが、この男の異常さを映画は表面的にしか描かない。さらには、警察である。全く介入してこないのだ。それは10年後のまーちゃんによる誘拐事件にも、同時に起きている連続殺人の捜査にも、である。一応は田畑智子演じる刑事が登場はするのだが、これだけの大事件なのに、彼女だけなんてありえない。そういう面でのリアリティーは全く追求しない作り方になっている。それならそれでもっと徹底し、警察は一切描かないほうが潔かった。
これはまーちゃんとみーくんの2人のお話なのだ、そこに絞り込みドラマを見せていく方がよい。まーくんが何度となくスクリーンに向かって「嘘だけど」と言うシーンがある。あれらのシーンがこの映画全体のスタイルになればいいし、その効果を狙っているのだろうが、そこまではいかない。それどころかなんだかとってつけたようで、映画の中にしっくり収まっていない。文句は山盛りある。だが、そんなこと、ここまで衝撃的な話を提示できたことだけでちゃらにできる。これはなんとも凄い映画だ。
故意にしているというよりは、力量のなさから、ディテールを詰め切れないようにしか見えない作り方は、この映画の救いとなっている。もしこれが園子温ばりのえげつない作りだったり、重厚なリアリズムで描いてしまったりしたら、傑作になったかもしれないが、瀬田なつき監督が目指すものからはずれてくる。これはあくまでも救済の物語なのだ。
完全に壊れてしまったまーちゃん(大政絢)の心を取り戻すのではなく、そんな彼女に永遠に寄り添うことで、添い遂げようとする少年みーくん(染谷将太)の無辜の心に触れるための映画なのだ。(だから、それ以外のことにはこの際一切目をつむる。作品のアンバランスや、稚拙さを指摘しても仕方ない。)彼は『春琴抄』の佐助のような存在だ。だがそれは彼女への愛からではない。贖罪である。幼い頃、自分の父親(彼が誘拐監禁犯)の行為を見ても何も出来なかった。だから、今、やれる限りのことをする。だが、それは義務ではなく、やはり彼女への愛なのかもしれない。
彼は何度でも繰り返す。彼女が忘れてしまうことで、生きていられるのなら、自分のことを忘れてもかまわない。そのたびまたやってきて、最初からやり直す。彼女を守るため。7歳の頃、誘拐され監禁され、閉じ込められた小屋の中で暮らした。助けに来た両親も目の前で殺される。しかも自分の手で親の殺人に荷担させられる。その時から彼女は「現実」を完全にシャットアウトする。生きているのに、もう生きていない。心が死んでしまったのだ。そんな彼女を嘘をつくことで守ろうとするのはみーちゃんだ。彼は自分を偽り、彼女に寄り添う。本当は犯人の息子なのだが、同じように監禁されていてひとり逃げ出した本物のみーくんになり変わり、彼としてまーちゃんを守る。
鈴木卓爾演じるサイコ男の背景がまるで描かれない。いくらなんでもあれではこの映画が成立しない。誘拐の件で訪ねてきたみーちゃんの両親を金槌で殴るシーンは衝撃的だ。だが、この男の異常さを映画は表面的にしか描かない。さらには、警察である。全く介入してこないのだ。それは10年後のまーちゃんによる誘拐事件にも、同時に起きている連続殺人の捜査にも、である。一応は田畑智子演じる刑事が登場はするのだが、これだけの大事件なのに、彼女だけなんてありえない。そういう面でのリアリティーは全く追求しない作り方になっている。それならそれでもっと徹底し、警察は一切描かないほうが潔かった。
これはまーちゃんとみーくんの2人のお話なのだ、そこに絞り込みドラマを見せていく方がよい。まーくんが何度となくスクリーンに向かって「嘘だけど」と言うシーンがある。あれらのシーンがこの映画全体のスタイルになればいいし、その効果を狙っているのだろうが、そこまではいかない。それどころかなんだかとってつけたようで、映画の中にしっくり収まっていない。文句は山盛りある。だが、そんなこと、ここまで衝撃的な話を提示できたことだけでちゃらにできる。これはなんとも凄い映画だ。