涙が溢れて止まらなかった。大竹野正典追悼公演の最終夜となる本作品の最後のステージを目撃した。日曜のマチネー、超満員の客席で大竹野正典作、演出『山の声』を見た。
吹雪の中、帰り道を求めて佇む加藤文太郎(戎屋海老)の姿が、大竹野本人と重なる。この作品は山歩きに嵌ってしまって、しばらく芝居をしていなかった大竹野の2年振りの新作である。彼の突然の死によって、結果的に遺作となってしまった作品でもある。
この作品を再演することで、大竹野演出の芝居を見ることは最期となる。生涯家族をテーマにして、家に帰れなくなるダメな父親の姿を連綿と綴ってきた大竹野の最後の作品を見ながら、これで本当に最後の最後なのか、と万感胸に迫る思いを抱く。一昨年の夏から続くこの長い長い弔いは、彼と、彼を愛した仲間たちによる祭りであり、大竹野正典という作家が、どれだけたくさんの人たちから愛されてきたのかを証明する壮大なセレモニーだった。劇作家、演出家である彼を弔うためには、この方法しかない。芝居をすること。それだけだ。だからこの企画が立ち上げられた。
彼が遺したたくさんの作品の中から3本をセレクトして、約1年かけて上演する。そのラストはもちろん彼の最新作であるこの作品であるべきだった。彼は過去の作家ではなく、今ここで、これからもどんどん新しい作品を作り続けるはずだった現役のランナーである。この芝居の主人公加藤文太郎と同じように、志半ばで死んでいくべきではなかったのだ。この作品を作ったとき、まさか自分がこの作品を最後にして死んでいくことになるだなんて、夢にも思わなかったはずだ。これは老境の作家が遺作として取り組んだ作品とはまるで意味が違う。なのに結果的にこれが遺作となってしまった。
今、もう一度この作品と対峙した僕たちはここに大竹野の最期の姿を重ねて見てしまうことになった。それは作り手たちも同じであろう。雪の中、道を失い倒れていくこととなる戎屋海老の姿は、そのまま大竹野そのものであり、それを見て僕たちは涙ぐむことになる。愚鈍で、マイペース。お金にもならない芝居と取り組み30年。ずっと劇作家であり、演出家であり続けた。日の当たるところに立つでもなくただ自分の作りたい芝居だけをせっせせっせと作り続けた。取り立てて褒められもせず、貶されもせず、目立つことなく、ひっそりと秀作を作り続けてきた。
彼の偉業を殊更ここで語ったところで詮無いことだ。そんなことは知っている人はみんな知っていることだし、知らない人に声高に叫んだところで、彼は喜ばない。そんなことしても、きっとテレるだけだ。この芝居がどれだけすばらしかったかを語る必要もない。
4ステージで500人を越える動員があったらしい。千秋楽であるこの日は、大竹野の最期の姿を見届けるため、たくさんの人が集まった。もう一度大竹野の芝居を見たいと、みんなが強く願った。この奇跡の芝居を見て、それぞれがそれぞれの想いを胸に抱いて劇場を後にしたことだろう。帰路につく観客を見送りながら、大竹野は何を思ったことだろうか。
この芝居の主人公加藤文太郎は、生きて家に帰ることは出来なかったが、大竹野はこうして、みんなの胸に帰っていくこととなった。1本の芝居がどれだけ力を持つか、なんてよくわからないが、この命と引き換えにした作品を目撃することで、たくさんの人々の中で、もう一度芝居を見るってことが何なのか、ということを思い出させてくれたのではないか、と信じる。たかが、芝居である。でも、一生懸けて、芝居と共に人生を歩んだ人もいることは事実だ。そして、大竹野は紛れもなく、その一人である。
吹雪の中、帰り道を求めて佇む加藤文太郎(戎屋海老)の姿が、大竹野本人と重なる。この作品は山歩きに嵌ってしまって、しばらく芝居をしていなかった大竹野の2年振りの新作である。彼の突然の死によって、結果的に遺作となってしまった作品でもある。
この作品を再演することで、大竹野演出の芝居を見ることは最期となる。生涯家族をテーマにして、家に帰れなくなるダメな父親の姿を連綿と綴ってきた大竹野の最後の作品を見ながら、これで本当に最後の最後なのか、と万感胸に迫る思いを抱く。一昨年の夏から続くこの長い長い弔いは、彼と、彼を愛した仲間たちによる祭りであり、大竹野正典という作家が、どれだけたくさんの人たちから愛されてきたのかを証明する壮大なセレモニーだった。劇作家、演出家である彼を弔うためには、この方法しかない。芝居をすること。それだけだ。だからこの企画が立ち上げられた。
彼が遺したたくさんの作品の中から3本をセレクトして、約1年かけて上演する。そのラストはもちろん彼の最新作であるこの作品であるべきだった。彼は過去の作家ではなく、今ここで、これからもどんどん新しい作品を作り続けるはずだった現役のランナーである。この芝居の主人公加藤文太郎と同じように、志半ばで死んでいくべきではなかったのだ。この作品を作ったとき、まさか自分がこの作品を最後にして死んでいくことになるだなんて、夢にも思わなかったはずだ。これは老境の作家が遺作として取り組んだ作品とはまるで意味が違う。なのに結果的にこれが遺作となってしまった。
今、もう一度この作品と対峙した僕たちはここに大竹野の最期の姿を重ねて見てしまうことになった。それは作り手たちも同じであろう。雪の中、道を失い倒れていくこととなる戎屋海老の姿は、そのまま大竹野そのものであり、それを見て僕たちは涙ぐむことになる。愚鈍で、マイペース。お金にもならない芝居と取り組み30年。ずっと劇作家であり、演出家であり続けた。日の当たるところに立つでもなくただ自分の作りたい芝居だけをせっせせっせと作り続けた。取り立てて褒められもせず、貶されもせず、目立つことなく、ひっそりと秀作を作り続けてきた。
彼の偉業を殊更ここで語ったところで詮無いことだ。そんなことは知っている人はみんな知っていることだし、知らない人に声高に叫んだところで、彼は喜ばない。そんなことしても、きっとテレるだけだ。この芝居がどれだけすばらしかったかを語る必要もない。
4ステージで500人を越える動員があったらしい。千秋楽であるこの日は、大竹野の最期の姿を見届けるため、たくさんの人が集まった。もう一度大竹野の芝居を見たいと、みんなが強く願った。この奇跡の芝居を見て、それぞれがそれぞれの想いを胸に抱いて劇場を後にしたことだろう。帰路につく観客を見送りながら、大竹野は何を思ったことだろうか。
この芝居の主人公加藤文太郎は、生きて家に帰ることは出来なかったが、大竹野はこうして、みんなの胸に帰っていくこととなった。1本の芝居がどれだけ力を持つか、なんてよくわからないが、この命と引き換えにした作品を目撃することで、たくさんの人々の中で、もう一度芝居を見るってことが何なのか、ということを思い出させてくれたのではないか、と信じる。たかが、芝居である。でも、一生懸けて、芝居と共に人生を歩んだ人もいることは事実だ。そして、大竹野は紛れもなく、その一人である。
だから、これからです。
また始まります。
台本としての新作はないけれど、作品としての新作は出来るんだもの。
色んな人が演出をして、芝居を作ったらいいと思います。
もちろんそれはくじら企画の芝居ではないけれど。
ありがとうございました。