今では引退している日本映画界のレジェンドである大女優、和楽京子こと、鈴さんのもとに行き、彼女の倉庫のようになっているマンションの片付けをすることになった青年(岡田一心)のお話。
引退して10年になり、もう80歳になる大女優(読んでいて最初は八千草薫や若尾文子をイメージしたけど、もちろん特定のモデルがあるわけではない。そこにはいろんな女優のイメージが重ねられる。)が、大学院生である青年と過ごす時間が描かれる。彼の今と、彼女の過去。彼女の今を通して、彼は過去の彼女に恋していく。部屋に残された膨大な記憶と、現実にある資料としての荷物。その整理と処分を彼は任されたのだが、一人暮らしの彼女のお世話(といっても、彼女はまだ健康だし、何でも自分で出来るからそれは介護ではない)や、話し相手になり、ふたりは年の離れた友人のようになる。彼は彼女と接することで、自分が知らなかったさまざまなことを知る。それは彼女のこれまでの人生の軌跡であり、昭和20年代から今に至る日本映画の歴史でもある。
やがて長崎で被爆したことが、終盤、大きなテーマとして浮かび上がってくるけど、この小説の描きたかったことはそこではない。だからと言って、帯にあるようにひとりの青年が、80歳になる女性に恋すること、でもない。戦後の日本映画の歴史をひとりの女優を通して描くことでもない。もちろん、ここには確かにそれらが描かれていくわけで、それはこの小説の根幹をなすことになっているということには異存はないけど、それだけで括られたなら心外だ。もっと違う「何か」がそこにはある。
青年はひとりの女性と恋をする。それは鈴さんではない。喫茶店で知り合った同世代の女の子だ。彼女のことが好きになり、やがて彼女と恋人同士になる。だけど、彼女は元カレのことが忘れられない。彼の恋は報われない、というお話が本筋ではなくサイドストーリーとして描かれるのだが、リアルタイムの彼らの恋と、鈴さんとのお話が彼の中では微妙に重なってくる。これはあくまでも彼の体験したある夏の物語だ。20代半ばの半年ほどの短い時間、仕事を辞めて、大学院に通いながらも、自分の未来に対して明確なビジョンも抱けず、ふらふらしていた日々の思い出。そんなささやかな記憶がここには描かれている。
ふたりの短い交流の日々の物語は淡い思い出となり、彼の記憶に残される。そこでの鈴さんはただのおばあさんではなく、美しい伝説であり、手の届かない夢のような恋人だ。これはある種の『ローマの休日』ではないか、なんて思う。