今年は初めてHPFに参加しなかった(出来なかった?)金蘭会高校の夏公演。山本篤先生がいなくなった金蘭会高校演劇部はもう以前の演劇部じゃない。だけど、彼女たちの演劇は続く。いや、彼女たちの演劇は今、この瞬間にある。金蘭会高校演劇部は山本先生のクラブではない。彼がいないと成り立たないわけではない。だけど、彼がいない金蘭は寂しい。そのことを一番よく知っているのは現役部員の彼女たち自身だろう。
そんな彼女たちの夏のステージを見逃すわけにはいかない。たくさんの先輩たちに支えられて、新しい金蘭演劇は始まった。それを目撃する。
とても難しい芝居に挑んだ。だから失敗する。それでいい。失敗のポイントは演出の不在だ。作品を作り上げることで手一杯になっているから、お話を語りきれていない。見ながらお話がこんなにも入ってこないのはしんどい。劇中劇であるふたつの国の争いと目の前にある現実の戦争。このふたつが交錯して、悲劇が描かれるのだが、20数人に及ぶキャストを捌ききれていないから混乱する。何が描かれているのか、わからない人もいたのではないか。ポイントが明確になったならよかったのだが、あれもこれもと欲張りすぎて絞りきれていない。
ナチスによるユダヤ人虐殺という事実をある避難所を通して描く。小さな空間、ささやかなコミューン。やがてやって来て彼らを連れ去るナチ。確実に来る明日の前で演劇はどれだけの力を持つのか。とても力強いメッセージを秘めた作品である。それを中高演劇部員総出で描くスペクタクル。それは金蘭演劇だから可能な作品だ。彼女たちは困難を承知で挑む。最初に失敗しているとは書いたが、とても力強い作品に仕上がっている。それは事実だ。気持ちのいい芝居を見た。