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映画・演劇のレビュー

『女たちは二度遊ぶ』

2010-10-02 21:10:31 | 映画
 『パレード』に続いて行定勲監督が吉田修一原作に挑む。小説は短編連作でその中から4話をチョイスして、最後には映画用オリジナルストーリーを噛ませるという構成は実に大胆だ。全体を、「書けない作家の話」で繋いで、作家(ユースケ・サンタマリア)が、行きつけの喫茶店で耳にした4つの男女の恋物語を小説にして書く、というスタイルの連作。だから、5話からなるオムニバス。

 しかもオリジナルの最終話は、作家本人の話だ。当然これだけ全体のテイストとは違うものになるのだが、そこがこの映画のうまさだ。わざとそういう部分を狙っている。そこには映画全体のテーマすら内包されている。第5話は、彼と嫁さん(長谷川京子)の話だ。彼女本人の希望でまだ結婚届けは出してないが、もう長年連れ添った古女房然している。先の4話とは違い、彼女はまるでミステリアスな要素のない女である。作家はこんな女を主人公にして小説なんか書けないと思う。でも、現実は吉田修一が書くように女はミステリアスなものではない。行定と、脚本家の伊藤ちひろが仕掛けたこの罠は、もしかしたら、この作品自体を否定しかねない要素を孕み持つ。多分に危険な賭けだ。だが、これはこれで成功したと思う。(しかし、一般の評判はあまりよくないようだ。)

 5話はそれぞれ、よく出来ていて、独立した作品としても楽しめる。それぞれ独自のカラーがあるのがいい。いずれも23分ほどの短編である。もともとは最終話も含めて5話独立させてネットで配信されたものだ。それを1本にして劇場でも公開したのだ。個人的には鈴木京香が夢の女を演じるエピソードが一番楽しめた。それにしても、この小さな映画が2時間以上の長編映画になるだなんて、なんだかおもしろい。

 男が夢みる女たちと、現実はまるで違う、のだろう。偶然出会った女たちとの一瞬の邂逅を、さまざまな切り口で描いていく。これはある種の男の勝手な妄想だ。だからこそそんな妄想の入り込む余地のない5話を最後に配することで、現実を突き付けるのではない。そこさえ含めて妄想でしかない、と想わせるところが素晴らしい。


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