昨年の乱歩に続き、今年は安吾である。期待せずにはいられない。丸尾さんがどんな安吾を見せてくれるのか、従来のイメージを払拭し、新鮮な感動を与えてくれるものとドキドキしながら、劇場に向かう。
セットは昨年を踏襲する。向きだけを変えての対面舞台だ。この作品が続編としての立ち位置にあることを指し示す。では、どんなアプローチを見せるのか、お手並み拝見。テンポがよく、どんどん作品世界へと引き込まれていく。そこはよかったと思う。ただ、思った以上にお話の展開がオーソドックスでそこは少し残念だった。
だが、安吾をとてもみみっちくて、つまらない男として描いているのが面白い。作家としても恋愛においても、何も出来ない彼の姿をこれでもか、これでもかと描く。伝記物語なのだが、偉大な作家の生涯なんてものを描く気は更々ない。ひとりの女を好きになるが、他の男とも付き合っているという噂を信じ、確かめることも出来ず、嫉妬から彼女を遠ざけ、ひとり苦しむ。それではまるで中学生の恋愛だ。あきれかえる。それをピュアだとは言わない。こんなにもうじうじ悩み苦しむ姿は滑稽でしかない。
乱歩を描くとき、そこにミステリ要素を満載して、ドキドキさせたのに、今回はそういう仕掛けはない。だが、時系列で描かれる彼の恋愛物語は、あまりに普通じゃない。もっと重い話になるのかと思ったのに、反対にタッチが軽すぎて、そこも意外だった。父親との確執や、姉の毒殺未遂事件も、彼の人生にそれほど大きな影を落とさない。まるで普通の男女の初々しい恋愛物語のような印象を与える。もっと破天荒でおどろおどろしいものを期待したからそういう意味ではこれは肩すかしだ。だけど、反対にそれだからこそ、これが安吾なのか、と思うと新鮮でもある。どうしても無頼派として、『堕落論』の作者としてのイメージばかりが先行するけど、この芝居が描くのはそれ以前の彼だ。10代20代の彼が、何を思い、何を感じたか。そこが作品の中心を成す。どこにでもいる普通の若者、でも彼は坂口安吾だ。そういう視点が面白い。山崎修一演じる安吾が初々しくていい。まるで落伍者には見えないのも僕には面白く感じた。丸尾拓は安吾という弱い男を凝視することを通して弱さは決してダメなことではなく、そんな弱さの向こうにあるものを見極めようとする。ラストの観客を立ち上がらせての乾杯はこの作品がひとつの祝祭の芝居なのだということを明示する。
ただ、作品の外枠を成す現在のパートとの兼ね合いはもう少しその意味合いも含めて明確にしてもよかったのではないか。今を生きる若者たちが安吾をどう見るか、という視点もこれではいささかあやふやだ。