4話からなる短編集だ。最初、東京オリンピックにまつわる4つのお話の連作だと思い読み始めた。だから、読んでいて「えっ?」という違和感があった。最初は思い込みもあるし、はっきりと時代が銘記されてないこともある。だが、徐々に違うな、とわかる。やがて、これは北京オリンピック直前のお話だと明確になると、なるほど、と納得した。最初の『香港林檎』を読み終えたとき、最後のところに(群像2007年4月号)と明記があるのを発見。なるほど、と思う。
香港、上海、ソウル、東京。この4つの都市を舞台にした短編連作だ。一応4人の人々(主人公は3話までは一応アスリートだが、最後の東京はそうじゃない)がオリンピックを目指して過ごした日々のスケッチ。でも、4話が進むにつれて、競技から少しずつ離れていく。だから、4話目の『東京花火』はアスリートではない。でも、彼の取った行動は、オリンピックに一番近づく行為だ。これは「オリンピックを目指したアスリートたちの苦悩を描く」なんていうよくあるパターンからは限りなく遠いけど、このもどかしさ、むなしさは、そんな無念なアスリートの想いに近いのかもしれない。最後に描かれるのは、競技が行われている国立競技場の壁に触れるだけ。ただ、それだけのことに執着するというバカバカしさ。
2021年、東京でオリンピックが確かに行われた。だけど、それが現実だという実感はない。TVで大騒ぎしていたけど、醒めてしまう。熱狂や興奮とは無縁の虚しさ。コロナ禍での空虚な五輪。いったい誰のための、何のためのものだったのか、それすらも曖昧だ。そんな幻のような気分がこの4つの短編小説には貫かれている。
時代はそれぞれ異なるし、場所も状況もまたそれぞれだ。だけど、そこで彼らが生きた時間は同じだ。夢を追いかけた。でも、簡単ではない。そんな時が刻まれている。象徴的な4都市。アジアの中で、21世紀入りどんどん巨大化していくビッグシティ。オリンピックはそんな流れに拍車をかける。64年の東京から、ソウル、北京の五輪を経て、コロナ禍で延期を余儀なくされた後無謀にも今年挙行された形骸化された2020年東京オリンピックへと。実感を求めて、オリンピックに触れようとしたこと。ここにはそれが確かに描かれてある。
そこに込められた吉田修一の想いは、そこで暮らす人たちの姿を通して確かに伝わる。今回の東京オリンピックだけではなく、オリンピックをアジアで行うことの意味や、それぞれの国で何が起きたかも含めて、ここに描かれる市井の男女の姿から焙り出されていく。