空前絶後の不入りを記録している河瀨直美の新作。2部作で今回はアスリート編。オリンピックの公式記録映画のはずなのに、とてもミニマルな視点から全体ではなく部分だけが描かれていく。こんなのありか、と「お偉いさん」は憤慨しているのではないか。市川崑が64年の『東京オリンピック』を撮った時も、非難ごうごうだっただろうけど、あれは空前の大ヒットとなった。今回は非難さえ聞こえないくらいに悲惨な興行。公開2週目からどこの劇場も一番小さなスクリーンで1日2回上映になっている。本当なら打ち切りたいところだが、それはできないのだろう。国家の威信がかかっている。仕方なく2回上映で妥協して、来週からは1回になり、なんとか『SIDE:B』(非アスリート編)の公開につなぐようだ。無観客上映なんて揶揄されている。僕が見た回も観客は僕ともう一人だけで2名。凄まじい。
これだけの鳴り物入りの企画なのに、ここまでそっぽ向かれた映画になったのは当然のことだろう。1年の延期で無理やり開催されたけど、国民はオリンピックをまるで楽しめなかった。楽しくないオリンピックのことなんかもう過去のこととして忘れてしまいたい(というか、もうみんな忘れてる!)それを今更映画にして上映しても誰も見ない。当然のことだろう。いつもの河瀨映画と同じ規模のミニシアターでの公開で充分だったはず。僕はまるでオリンピックには興味ないけど、河瀨直美映画なので見に行った。彼女がどういうふうにこの出来事を取り(撮り)上げたのか、気になったからだ。2020年から21年、750日の記録になってしまったこの素材をどういう形で2本の映画にしたか。
冒頭からまるお通夜にでも来たような雰囲気で始まる。重くて暗い。死者を弔う儀式。雨が降る。誰もいない。オリンピック反対のデモや抗議活動(一緒か)が描きこまれる。やがて開会式が、会場である国立の中ではなく、その周辺を取り囲む人たちのスケッチで描かれる。これはもう公式記録映画じゃないわ、と思う。河瀨直美は最大限の自分視点でこの映画を作る。もう何をしても失敗にしかならないし、誰も期待なんかしていない、という前提で編集している気がする。諦めしかない。
アスリートたちの姿が描かれるが、競技はほとんど描かれない。彼らの背景や、東京での日常のほうに重点が置かれる。しかも、特定の選手をピックアップしているから、まるで取り上げられない競技もある。もちろんそれは仕方ないことだ。あまりに膨大な競技数だ。でも、取り上げた競技でも、勝ち負けは(ほとんど)描かない。そんなことみんなが既に知っていることだから、ではない。監督の視点はそこにはないからだ。女性アスリートの問題が前面に取り上げられるのも、河瀨直美の興味がそこにあるからだろう。バランスは悪く偏った映画だ。私が撮るからこうなるのだ、とでも言わんばかりだ。もちろんそれはそれでいい。潔い。(クレームは出なかったのか、心配するけど)
結果的に2020年から21年というパンデミックの時代を東京五輪を通して描く映画になった。そういう側面が『SIDE:B』ではさらに顕著になるのだろう。