習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『マンデラの名もなき看守』

2009-10-27 22:42:13 | 映画
 南アフリカで刑務所の看守として働くジェームズ・グレゴリーがロベン島の刑務所に赴任した1968年、アパルトヘイト政策により、反政府運動の活動家の黒人が日々逮捕され、投獄されていた。グレゴリーはそこでネルソン・マンデラの担当に抜擢される。黒人の言葉・コーサ語が解るので、会話をスパイするためだ。妻のグロリアは夫の出世を喜び、順風満帆のようだった。だがマンデラに初めて会った時から、グレゴリーは特別な印象を抱き始める。

 gooの解説をそのまま引用させてもらった。とてもわかりやすい。でも、これだけ読んでこの映画を見ようとはなかなか思えないのも事実だ。決めてはビレ・アウグストである。久々に彼が監督した作品である、という事実だけでこの映画が見たいと思った。でも、見る前はなんだか心配だった。よく出来たヒューマンドラマを見せられ感動の押し売りをされるのは嫌だなぁ、と思ったからだ。ビレ・アウグスト監督作品なのでそんなことはないとわかっていても、それでも一抹の不安が残る。かって僕たちが彼に夢中になっていた時代から遙か時は流れた今、あの頃のキレが今の彼にあるのか、正直言うとかなり危惧した。失望させられたくないと思ったのだ。

 題材が題材だし、これは難しいはずだ。映画の前半、マンデラに対して高圧的になる主人公である看守の彼への接し方は予想通りだ。それがマンデラの考え方に触れその生き方に共鳴し、といういかにもな展開。なんだかなぁ、と思う。

 ただ圧倒的に美しい風景に心魅かれる。ここが監獄であるという事実すら忘れさせるほどだ。そんな中で看守と彼の家族の物語が綴られていく。彼らのことばがわかるという理由で、マンデラと接していく。特権的な仕事を授かる。

 ありきたりな映画は、後半に入り、世界の世論が後押しする中、南アフリカ政府もマンデラをいつまでも閉じ込めておくことが難しくなるという時代の波にもまれていくという部分からだんだん目が離せなくなっていく。ただの看守が歴史の目撃者となっていく。時代を切り開いていく巨人と日常的に接していく中で、名もない看守であるこの映画の主人公は、この国で自分が生きる意味を考えていくこととなる。差別の現状、黒人への暴力。暴力について断固抵抗し、立ちあがること。マンデラと同化していくのではない。ただの名もなきひとりの人間として混迷の時代の中、自分たちが生きるということの意味を考えていくのだ。

 これは偉人伝ではない。時代の証言者として60年代から80年代をマンデラのそばで生き抜いた平凡な男の人生のドラマである。彼が今まで考えもしなかった自由について考え、家族を守り、結果的にマンデラとともに生きていく姿が描かれる。

 ビレ・アウグストは健在だった。そのへんのヤワな映画とはまるで違う。人間に対しての深い洞察力がこの映画を、凡百の似非ヒューマン映画とは隔世の作品にした。心に沁み入る傑作である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 売込隊ビーム『徹底的に手足』 | トップ | 大阪新撰組『夜に浸みいる朝... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。