こんな地味な映画が東宝シネマズなんばで公開されている。公開2日目の夕方、客は8人だけ。土曜なのに。寂しい。そして、この映画自体も、とてもさみしい映画だ。うら寂しい。27歳の男たちが、人生に疲れて、倒れていく。佐々木の死は彼らにどんな影響を与えたか。
高校時代と現在が交錯して描かれる。キラキラ輝いていたあの頃、なんていうパターンではない。今の閉塞感も半端じゃない。息苦しい映画だ。2時間ずっとそれが続くから見ていてしんどい。なんでこんな映画を見てるんだろうと後悔する。だけど、見始めた以上仕方がない。目をそむけたくなるような痛ましさ。あの頃も今もずっとそうだ。佐々木が裸になるのは、道化のためではない。自分を開放する、なんてわけでも毛頭ない。バカすることで、自分を嘲笑う、わけでもない。なんだかわからない衝動が彼を突き動かす。父親への怒りに集約される。
途中で、5年前にたまたま一度再会した佐々木のエピソードも描かれるのだが、それもまたうら寂しい。そんなのばかりで最後まで映画は続く。大丈夫かこの映画は、と心配になる。辛いばかりの2時間なのに、見終えた時の気分は悪くはない。死んでしまった佐々木を想うとき、彼らはつらくなるのではない。笑ってしまう。でも、バカにしているのではない。
不思議な映画だ。何が言いたいのかわからない。わからないけど、これでいいと思う。わかりやすさから遠く離れたところにこの映画はある。何も言わないままの姿を延々と撮り続けるシーンも多々ある。はっきりと何かを言葉にするのではない。言葉にならないものを見せるのだ。
だからこれは、もどかしい映画だ。でも、誰もがこんな思いを抱えて生きている。この映画を通して僕たちはそれぞれが自分自身と向き合うことになる。これはまるでドキュメンタリーのようだ。どこかにいたはずのもうひとりの自分をそこに見る。どことも知れない田舎町で、どこにでもいるような子供たちが過ごす時間。17歳、22歳、27歳という三つの時間の一断面が切り取られていく。だたそれだけのこと。そして、この先も人生は続く。