昨日『ベンチのある風景』について書いてから、いくつか気になることがあり、ずっと買っただけで読んでなかった『魂のシネアスト・高林陽一の宇宙』という本を開いてみた。
『あの遠い日の映画への旅』の増補版とも知らず買い、そのままにしていた本だ。高林さんの新作のタイトルは『愛あればこそ』ではなく『愛なくして』だった。まずそれに気付いて笑った。
『往生安楽国』は76年作品で、僕が彼の作品で好きなものはこの前後に集中している。この直前に『金閣寺』、(その2年前に『悲歌』)直後に『西陣心中』。これらが撮られた時代と僕の10代の後半が重なる。人生の一番多感な頃に、彼の映画と出会っている。
年譜を見ると、当然すべての映画を見ているわけではなかった。初期の8ミリはほとんど見てないし蒸気機関車をとったドキュメンタリーは全滅である。
16ミリはほぼ見ている。かなり頑張って追いかけたから。(当時はもちろんビデオなんてないし、上映会を探してどこにでも行った)
彼のキャリアのスタートにあたる昭和34年は僕が生まれた年だ。なんかそういうのって嬉しい。
78年出版と同時に買い、貪るように『あの遠い日の映画への旅』を読んだのを憶えている。
さて、この本によると78年2月、新京極のテアトル72で「高林陽一・映像のすべて」が行われ、その時『往生安楽国』を見たようだ。
この時のオールナイトの熱気の事が書かれているが、あの夜は、今でも鮮明に憶えている。ちょうど、受験の頃で、そんな時にオールナイトに行くなんて無謀だった。でも、何があっても行きたかった。すごい人込みの中で、息をつめてスクリーンを見つめた。
こんなにも自由な映画があるのかと思った。これから始まる大学生活、この京都でいろんな事を学びたい、そんな気分ともシンクロして、人生で一番充実した1日だった。終映後、夜明け前の京都の町を歩きながら気分は高揚していた。
パラパラとこの本をめくりながら、いろんな記憶が甦って来る。あの頃、好きだった中原中也、三島由紀夫、つげ義春のこと。今と違って好きといえばとことん好きになった。あんなふうに夢中になることなんて、今はもうない。高校の頃ってどうしてあんなに純粋だったのだろうか。
人生において一番多感な時期に運命的に出逢った作家というのが誰にでもあるはずだ。あの頃の僕にとってそれが小説家では福永武彦であり、映画監督では、高林さんだったとはっきりいえる。あの頃の僕の8ミリ映画はすべて高林さんの真似事である。
と、ここまで書いてきてふと、思うのは78年2月というのは高3の冬ではなく大学1年の冬ではなかったか?そうなるとこの文章は完全な記憶違いとなる。
記憶というものは、こんなにもいいかげんで勝手なものなんだろうか。調べればすぐ分かることだが、今はもうどうでもいい。曖昧なままにしておこう。
『あの遠い日の映画への旅』の増補版とも知らず買い、そのままにしていた本だ。高林さんの新作のタイトルは『愛あればこそ』ではなく『愛なくして』だった。まずそれに気付いて笑った。
『往生安楽国』は76年作品で、僕が彼の作品で好きなものはこの前後に集中している。この直前に『金閣寺』、(その2年前に『悲歌』)直後に『西陣心中』。これらが撮られた時代と僕の10代の後半が重なる。人生の一番多感な頃に、彼の映画と出会っている。
年譜を見ると、当然すべての映画を見ているわけではなかった。初期の8ミリはほとんど見てないし蒸気機関車をとったドキュメンタリーは全滅である。
16ミリはほぼ見ている。かなり頑張って追いかけたから。(当時はもちろんビデオなんてないし、上映会を探してどこにでも行った)
彼のキャリアのスタートにあたる昭和34年は僕が生まれた年だ。なんかそういうのって嬉しい。
78年出版と同時に買い、貪るように『あの遠い日の映画への旅』を読んだのを憶えている。
さて、この本によると78年2月、新京極のテアトル72で「高林陽一・映像のすべて」が行われ、その時『往生安楽国』を見たようだ。
この時のオールナイトの熱気の事が書かれているが、あの夜は、今でも鮮明に憶えている。ちょうど、受験の頃で、そんな時にオールナイトに行くなんて無謀だった。でも、何があっても行きたかった。すごい人込みの中で、息をつめてスクリーンを見つめた。
こんなにも自由な映画があるのかと思った。これから始まる大学生活、この京都でいろんな事を学びたい、そんな気分ともシンクロして、人生で一番充実した1日だった。終映後、夜明け前の京都の町を歩きながら気分は高揚していた。
パラパラとこの本をめくりながら、いろんな記憶が甦って来る。あの頃、好きだった中原中也、三島由紀夫、つげ義春のこと。今と違って好きといえばとことん好きになった。あんなふうに夢中になることなんて、今はもうない。高校の頃ってどうしてあんなに純粋だったのだろうか。
人生において一番多感な時期に運命的に出逢った作家というのが誰にでもあるはずだ。あの頃の僕にとってそれが小説家では福永武彦であり、映画監督では、高林さんだったとはっきりいえる。あの頃の僕の8ミリ映画はすべて高林さんの真似事である。
と、ここまで書いてきてふと、思うのは78年2月というのは高3の冬ではなく大学1年の冬ではなかったか?そうなるとこの文章は完全な記憶違いとなる。
記憶というものは、こんなにもいいかげんで勝手なものなんだろうか。調べればすぐ分かることだが、今はもうどうでもいい。曖昧なままにしておこう。