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映画・演劇のレビュー

『ロボコップ』

2014-03-17 20:43:26 | 映画
 ポ-ル・バーホーベンのあの傑作を20数年の歳月を経て、新たな視点からリメイクした。前作へのオマージュもあるし、ちゃんとリスペクトしている。ただの映画にはしない、という作り手の心意気はちゃんと伝わってくるのだが、いかんせん内容が今の感覚にそぐわない。これではただのロボット刑事もので、そんなのは東映映画に任せればよい。

 半分はロボット、半分は人間という単純すぎる設定を逆手にとって痛快であるだけではない奥行きを作る。でも、21世紀の今、この設定はどれだけ話をひねろうとも、無理がある。しかも贅沢な観客はちょっとやそっとのことでは驚かない。アクション映画としてはもう何をしても新鮮にはならない以上、お話に頼らざる得ない。しかもそれは複雑にならざる得ない。ないないずくしである。

 世界ではもうロボットによる警察や軍隊の役割の代替行為が行使されているのに、まだアメリカでは認められていない、という背景が作品の根幹をなす。人権団体とか、さまざまな横やりが入って、議会で通らない。ロボットの導入によって大きな利益があげられることは必至の事実で企業は手ぐすね引いている。そこで、まず、感情を持ったロボットとしてのロボコップを誕生させる。彼はただの広告塔でしかない。しかも会社側が彼の感情をコントロールするのだから、半分人間というのは言い訳にしかならない。

 と、そんな設定からスタートするのだが、当然、彼の中の人間が目覚めてくる、というお話になる。もう単純すぎる。サミュエル・L・ジャクソン演じる過激なキャスターの存在が圧倒的で、本編より、彼を見ているほうが面白い。

 複雑なお話は、どこまで行ってもこのドラマに奥行きを生まない。映画はどんどんすべるばかりだ。ゲイリー・オールドマン演じる博士と、マイケル・キートン演じる大企業の社長との対決のほうがメインになり、ロボコップの存在は霞むばかりだ。シルバー・メタリックのボディーが今回はブラックに変えられたけど、ほんとならスマートなはずのそのデザインが、安っぽい。こんなにも頑張ったのに、やればやるだけ、マイナスにしか作用しない。悪い映画ではないけど、今、これをする意味があまり感じられない。

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