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映画・演劇のレビュー

『彼女が消えた浜辺』

2010-09-23 21:10:49 | 映画
 こういうミステリータッチのイラン映画を見るのは初めてだ。今までは、どちらかといえば、キアロスタミをはじめとして、どちらかといえばアート映画に分類できるようなもの(児童映画とも言える)しか、日本には入ってこなかったから、これはとても新鮮だった。

 
 学生時代からの仲間で今も家族ぐるみでつき合う友だち同士が夏のバカンスにやってくる。車を3台連ねて、カスピ海のリゾート地にある別荘に来る。2泊3日の家族旅行だ。その2日目、みんなはそれぞれに思い思いに遊んでいた。男たちはバレーボールに興じ、子供たちは、海辺で凧を揚げてはしゃいでいた。だが、一瞬、子供から目を離したその時に、ひとりの少年が溺れた。近くにいた大人はエリだけだ。

 エリが消えた。子供が助けを呼びに来て、男たちは海に入る。ようやく、溺れていた少年が無事救助できた。その時、初めて気がつく。エリがいない。

 楽しかったバカンスが一転してしまう。子供の保育園の先生であるエリはこの仲間たちとは、つき合いがない。仲間のひとりの女性が連れてきたゲストだ。だから、ほとんどの人がこの旅行で初めて彼女と会った。彼女の事情、背景、本名すら誰も知らない。彼女は子供を助けるため海に入って溺れたのではなく、勝手に帰ってしまったのではないか、と疑う人も出てくる。失踪ではないか、とも。

 一体彼女は何者なのか。なぜ、誘われたからといって、あまり知らない人たちとの旅行に参加したのか。彼女の事情が徐々に見えてくる。この映画は、そこから特別なことを描くのではない。これはなんでもない日常の延長線上にあるドラマだ。エリは普通の女の子で、彼女が抱える悩みもまた、誰もが多かれ少なかれ抱える悩みでしかない。

 イランの中流家庭、夏の平和なバカンス。それが、一転して、恐怖と不安にたたき落とされていくこと。「一寸先は闇」だ、なんていうが、この先に何が起こるかなんてわかったものではない。しかし、僕等はそんなこと、気にもしないで、毎日を生きている。当たり前のことだ。不安に捉われて生きるわけにはいかない。

 これがイラン映画であるから、というのではなく、どこの国の、誰に起きても不思議ではない出来事だ。これがアメリカの娯楽映画として作られたとしてもまるで不思議ではない。それどころか、今この映画はハリウッドでリメイクが進められているかもしれない。それくらいによくできた話だと思う。

 しかし、これがハリウッド映画ではなくイラン映画であるというほんのちょっとした違いによって、この作品の緊張感はまるで違ったものになったことも事実だろう。この作品が政情不安なイランで起きたドラマであるということだけで、こんなにもピリピリしたものになる、という事実に驚かざるを得ない。あまりにあっさりした終わり方も含めてとてもよくできている。


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