石井隆の新作だ。昨年、『フィギュアなあなた』と2本撮りした2本目の作品。2本ともよくあるロマンポルノ作品の定番の内容で、それを敢えて、彼が手掛けることに何の意味があるのだろうか、そのことも気になった。女子高生を監禁して調教する、なんていう散々ポルノ映画が遣り尽くした内容である。しかも、それを15年後、医者になった主人公のお話と同時進行で見せていくが、昼間は優しい医者で、夜はSM嬢なんていう、これまた定番の設定。ここまで、あほらしいくらいのペラペラな薄い内容で何を見せたかったのか。
全編ナレーション(独白なのに、なぜかヒロインの壇蜜ではなく、喜多嶋舞)で、話を進めていく。その距離感が今回のポイントでもあるようだが、こんなにも饒舌な石井映画は初めてではないか。語れば語るほど、空疎になる。図式的な話とも相俟って、わざとしているのだろうが、あまりうまく機能していない。主人公の心の闇を掬い取るべきはずが、安易な展開に足元を掬われる。
17歳の少女にとって、この1か月の監禁の日々がどれだけの心の痛みとなるのかは、想像すらできない。悲惨の極みだ。それはその後の人生のすべてをを左右する。一生拭い去ることのできない傷みとなることは間違いのない事実だ。それだけで、トラウマになることは必至の事実なのだが、映画はそこに止まらない。というか、そこから始まる勢いだ。その先にあるものを指し示す。
その時、男を殺して家に戻ってきた少女を、母親はぞっとするような眼で見つめるのである。その事実が彼女のとっては監禁の日々以上の衝撃となる。無言で抱きしめてもらいたかった。なのに、母親は彼女を拒絶した。汚らしいものを見るように、彼女を醒めた目で見た。この映画の一番の見せ場はそこに尽きる。その事実によって彼女の心は完全に壊れてしまう。監禁の日々の中で恐怖と屈辱に耐えてなんとかして生き残るために戦い続けた意志は砕け散る。
すべての心を閉ざした少女は、その後の人生を屍のように過ごす。医者になり、傷ついた女たちを守ろうとする。産婦人科で、不妊治療に精通する女医としての信頼を得る。しかし、彼女の心は空虚なままだ。そんな心を癒すために、反対に彼女はあの事件の再現のようなSMクラブで働く。マゾヒストとして、いたぶられ続けることで、自己を保っている。(でも、この安易で、まるでポルノ映画のような設定はなんとかならないものか。)
17歳の監禁のシーンと、32歳の現在のSMクラブでのプレイのシーンとを交互に描きながら、彼女の深層に迫るというのか。石井隆らしいハードな描写が続き、見ていて、それが見世物にしか見えないのも事実だ。R18+の成人指定だから、えげつない描写をした、というわけではなかろう。これが石井隆の世界なのだ、ということは分かっているけど、あんなにも饒舌なナレーションによって、心に闇が深められるわけでもなく、それがどんどん空疎な作品にしていく。なぜこういう手法を選んだのか。末期がんで入院している母親のシーンもはさみながら、最後は、母親の死に至る。
ラストで、彼女がMからSへと転じることで、新しいスイッチが入って、一気にカタストロフィに至るのだが、その彼女の進化が、この映画を思いもしなかった次元へといざなうわけではなかったのにはがっかりさせられた。そこにあるのは安易な収束でしかない。32歳の主人公が、17歳のあの日の彼女を殺さないのはなぜか。誰が彼女の殺意を食い止めたのか。その一番大事なところが描かれないままに終わるのは解せない。それだけにあのラストは腹立たしい。母親との確執も、中途半端なままで終わる。
全編ナレーション(独白なのに、なぜかヒロインの壇蜜ではなく、喜多嶋舞)で、話を進めていく。その距離感が今回のポイントでもあるようだが、こんなにも饒舌な石井映画は初めてではないか。語れば語るほど、空疎になる。図式的な話とも相俟って、わざとしているのだろうが、あまりうまく機能していない。主人公の心の闇を掬い取るべきはずが、安易な展開に足元を掬われる。
17歳の少女にとって、この1か月の監禁の日々がどれだけの心の痛みとなるのかは、想像すらできない。悲惨の極みだ。それはその後の人生のすべてをを左右する。一生拭い去ることのできない傷みとなることは間違いのない事実だ。それだけで、トラウマになることは必至の事実なのだが、映画はそこに止まらない。というか、そこから始まる勢いだ。その先にあるものを指し示す。
その時、男を殺して家に戻ってきた少女を、母親はぞっとするような眼で見つめるのである。その事実が彼女のとっては監禁の日々以上の衝撃となる。無言で抱きしめてもらいたかった。なのに、母親は彼女を拒絶した。汚らしいものを見るように、彼女を醒めた目で見た。この映画の一番の見せ場はそこに尽きる。その事実によって彼女の心は完全に壊れてしまう。監禁の日々の中で恐怖と屈辱に耐えてなんとかして生き残るために戦い続けた意志は砕け散る。
すべての心を閉ざした少女は、その後の人生を屍のように過ごす。医者になり、傷ついた女たちを守ろうとする。産婦人科で、不妊治療に精通する女医としての信頼を得る。しかし、彼女の心は空虚なままだ。そんな心を癒すために、反対に彼女はあの事件の再現のようなSMクラブで働く。マゾヒストとして、いたぶられ続けることで、自己を保っている。(でも、この安易で、まるでポルノ映画のような設定はなんとかならないものか。)
17歳の監禁のシーンと、32歳の現在のSMクラブでのプレイのシーンとを交互に描きながら、彼女の深層に迫るというのか。石井隆らしいハードな描写が続き、見ていて、それが見世物にしか見えないのも事実だ。R18+の成人指定だから、えげつない描写をした、というわけではなかろう。これが石井隆の世界なのだ、ということは分かっているけど、あんなにも饒舌なナレーションによって、心に闇が深められるわけでもなく、それがどんどん空疎な作品にしていく。なぜこういう手法を選んだのか。末期がんで入院している母親のシーンもはさみながら、最後は、母親の死に至る。
ラストで、彼女がMからSへと転じることで、新しいスイッチが入って、一気にカタストロフィに至るのだが、その彼女の進化が、この映画を思いもしなかった次元へといざなうわけではなかったのにはがっかりさせられた。そこにあるのは安易な収束でしかない。32歳の主人公が、17歳のあの日の彼女を殺さないのはなぜか。誰が彼女の殺意を食い止めたのか。その一番大事なところが描かれないままに終わるのは解せない。それだけにあのラストは腹立たしい。母親との確執も、中途半端なままで終わる。