重松清の小説を舞台化した。リタイアした60代の男たちが、毎日を持て余す日々をリアルに描けたならおもしろいのだが、まるで絵空事のようで、納得いかない。話の導入部があまりに安易だ。主人公の山崎さんが戸惑いながら生活する日々をもっとじっくり見せなくてはその先が切実にはならない。なんだか段取り芝居を見せられているような気分になる。あまりに簡単に「定年男子会」のメンバーになり、そこで生きがいのようなものをみつける。彼は、もっと今置かれた現実に苦しまなくてはならない。お話とはいえ、これではテンポよく、都合良く、話が進み過ぎだ。
分譲されていくニュータウンの入居者たちが思い描いたマイホームの夢と現実、それは高度成長の日本が夢見た未来と重なる。彼らとともに、日本もまた高齢化社会に突入し、あの日の夢が色褪せていく。この作品は目の前の「定年後」という現実の先に、彼らがこれからどんな未来を夢見ればいいのかを描くべきなのだ。だが、作品は過去の検証にしかならず、未来が描かれていない。そのことが、問題なのである。
それはきっと原作となった台本自身の問題で、演出の問題ではないのかもしれないが、演出を担当したしまさんは、ここに自分の思い描くビジョンを提示できていない、と思う。そのことも大きな問題ではないか。リアルな団塊世代の役者たちを用意して、彼らに自由に演じさせたようだが、それだけではリアルな芝居にはならない。彼にはこの作品のリーダーとして、帰着点をきちんと指し示す義務がある。そこに向けて、役者たちをしっかりと誘う必要がある。
定年を迎えた男たちの怒りと悲しみが、作品を通して心に沁みてくる、せめて、そんな作品になっていて、欲しかった。しかも、彼らがここから向かう先は、怒りや悲しみの捌け口ではなく、彼らが新しく抱く夢や希望であるべきなのだ。ねらいは充分に伝わってくるし、とても誠実な芝居であるとは思う。それだけに、残念だ。
分譲されていくニュータウンの入居者たちが思い描いたマイホームの夢と現実、それは高度成長の日本が夢見た未来と重なる。彼らとともに、日本もまた高齢化社会に突入し、あの日の夢が色褪せていく。この作品は目の前の「定年後」という現実の先に、彼らがこれからどんな未来を夢見ればいいのかを描くべきなのだ。だが、作品は過去の検証にしかならず、未来が描かれていない。そのことが、問題なのである。
それはきっと原作となった台本自身の問題で、演出の問題ではないのかもしれないが、演出を担当したしまさんは、ここに自分の思い描くビジョンを提示できていない、と思う。そのことも大きな問題ではないか。リアルな団塊世代の役者たちを用意して、彼らに自由に演じさせたようだが、それだけではリアルな芝居にはならない。彼にはこの作品のリーダーとして、帰着点をきちんと指し示す義務がある。そこに向けて、役者たちをしっかりと誘う必要がある。
定年を迎えた男たちの怒りと悲しみが、作品を通して心に沁みてくる、せめて、そんな作品になっていて、欲しかった。しかも、彼らがここから向かう先は、怒りや悲しみの捌け口ではなく、彼らが新しく抱く夢や希望であるべきなのだ。ねらいは充分に伝わってくるし、とても誠実な芝居であるとは思う。それだけに、残念だ。