わざわざお金を出して劇場まで見に行く映画ではない。そんなこと充分わかっていたけど、映画を見て改めて、納得する。でも、それが腹立たしいのではなく、それがいいと思う。そんな映画があってもいいじゃないか、と思わせてくれる作品だったからだ。映画だからと気合を入れてTVとは違う仕掛けを用意するパターンがよくあるけど、観客が求めるものは、TVそのままの世界観で、それをゆっくり楽しませてくれたらそれが一番。今回の映画化のメインは京都旅行だと思っていたのに、冒頭で京都のシーンが入りそれだけ、というさりげなさは凄い。京都はなんとメインタイトルまでの数分間だけなのだ。
本編に入るといつものような日常のこまごまとしたエピソードの積み重ねなので、2時間は少し長く感じないでもないけど、ずっとこんな幸せが続くといい、と思いながら、ふたりの日々を見守ることになる。こういうささやかなプログラムピクチャーが昔はたくさんあったけど、今の時代そんな映画は作られない。映画館とTVとの垣根はどんどん低くなるが、映画の幅はどんどん狭くなっている気がする。余裕がないのだ。
最近この映画と同じように『劇場版』というタイトルを冠した映画が大量に作られる。TVシリーズはちょっとヒットしたら安易に映画化され、そこそこファンを集めて安定した興業が可能だからだ。だいたい映画を作っているのがTV局主導のものばかりだし。映画に分け隔てはしない主義だが『劇場版』と銘打たれる作品はできるだけ見たくないと思うくらいだ。
シロさん(西島秀俊)とケンジ(内野聖陽)のカップルが少しだけ周囲の目を気にしながらも幸せそうに暮らしている日々を、食を中心にして描いていく30分のTVドラマは、特別なことは何もないところが面白かった。変わりない毎日の繰り返し。それは短いTVだから可能なことだ。それを2時間の映画にしてしまうと、どうしてもそこに事件を盛り込まなくては成り立たない。だけど、この映画は敢えてそこを避けて通る。事件は起こさない。いつものように、できるだけ安くておいしそうなものを買い物して、料理を作る。ときどきは友だちを招いて一緒に食事したりもする。実家にも帰り、両親の安否確認もする。もちろん(できるだけ)楽しく仕事もする。たまにはけんかもする。でも、それは仲の良さの証拠だ。これはそんな映画なのである。
肩ひじ張ることはない。自然体で2時間を過ごすことができる。それだけでいい、という気にさせてくれる。中江和仁監督は気合が入りまくった長編デビュー作『嘘を愛する女』ではなく短編デビュー作『パーマネント・ランド』のテイストでこの作品に挑んだ。気合いを入れない映画だ。映画なのにこんなので、かまわない。