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映画・演劇のレビュー

『ゴジラ (1954) 』

2014-06-18 21:04:11 | 映画
60年の歳月を経てよみがえったオリジナル『ゴジラ』。デジタルリマスター版が全国一斉公開中だ。劇場の大スクリーンで『ゴジラ』を見ることができる至福を逃すわけにはいかない。しかも、映像は修復されて、とてもきれいになっている。白黒の映像は劇場でこそ映える。明暗がくっきり出て、この作品の怖さはちゃんと再現される。モノクロ・スタンダードサイズというこの映画のフレームは、描かれる内容に見事、マッチしている。この第1作はシネスコでないことが、吉と出た。スクリーンの圧迫感は半端ではない。重苦しく、暗い。戦争は終わったのに、まだ戦後をちゃんと引きずったままの日本が舞台だ。だが、同時に、今この映画を見ることの意味はある。3・11以降の気分すら反映させる映画なのだ。そういう意味でも、これはタイムリーなのである。

ゴジラが東京湾から上陸する。それを阻止するために、防波堤ならぬ、電磁波を流すための鉄塔を設ける。だが、当然、そんなものは、ゴジラの前では無力だ。東京が灰燼と化す。ゴジラは自然災害であると共に、人災でもあるところが、今のこの国の状況と呼応する。水爆実験によって彼は生まれたのだ。

 お話は、3人の男女によるラブストーリーにもなっている。昔見たときはそんなこと思いもしなかったけど、今回のチラシには「ゴジラに翻弄されるひとりの女とふたりの男、そして全人類。」とあるし。たぶん、そういうことなのだろう。なんだか、凄い。

ゴジラを倒すために使用されるオキシジェンデストロイヤー(酸素破壊装置)は、海から生態系を失わせる。これを使うと東京湾は死の海になる。でも、ゴジラを倒すためには仕方ない。なんだか、とても暴力的なお話ではないか。放射能を吐くゴジラが通った後には、残留放射能のためしばらくは人が住めないのではないか。災害の後処理も困難を極めるはずだ。映画はそこまでは踏み込まないけど、今のご時世である。そういうことも考えさせられる。

2014年にゴジラを見る意義は大きい。この後、公開されるハリウッド版の新作は、このオリジナルへのオマージュとなっているようだ。芹沢博士が再び登場する。渡辺謙が演じる。もちろん、同一人物ではない。だが、オリジナルのマインドをきちんと引き継ぐ正しいゴジラ映画が期待できる。とても、楽しみだ。

高校生のころ、初めてこの映画をTVで見て、ショックを受けた。それまで見てきた明るく楽しい子供向けのゴジラ映画とはまるで違っていたからだ。今、再びこの映画とこうして対面してその完成度の高さ、志の気高さ、いろんな意味で、これは歴史の残る傑作であることを改めて実感できた。



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