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映画・演劇のレビュー

平田俊子『私の赤くて柔らかな部分』

2010-01-31 08:54:10 | その他
 なんだかいやらしそうなタイトルの本だね、と職員室の隣の席の先生から言われる。机の上にこの本を置いたまま授業に行っていた。なんだか、顔が赤くなる。そんな本ではないのですけど、と言い訳するのも変なので、へへへ、とやり過ごす。この必要以上に赤い本は、そのなんだか意味深なタイトルも含めて、要らぬ想像まで逞しくさせる。

 一瞬で読み終えてしまえる。あっけないくらいに、早かった。朝の電車から、読み始めて、家に帰る頃にはほとんど終わっていた。2日もたないから、夜残りを読んでしまった。できることなら、もう少しゆっくりと読みたかった。面白いというわけではない。だいたい人が失恋して、生きる気力をなくしているのを面白がるなんて不謹慎だ。彼女は大好きだった(かもしれない)上司と、大好きだった恋人をほぼ同時に亡くした。ショックだ。その上司のお別れ会に行った帰り、家に帰るのが嫌で、なんとなく電車に乗り、上野から(やはり旅は上野から)適当な所まで行って、なんとなく降りた町のターミナルホテル(と、言ってもなぜか駅からは遠い)に宿泊する。そして、なんの観光名所があるわけでもない、どうでもいいようなこの町で留まる。

 これは失恋の痛みから逃れるためのセンチメンタル・ジャーニーなのか。でも、彼女は自分の感情に溺れているわけではない。こんなしょぼい悲劇のヒロインはいない。彼女はまぜかこの町のお子様ランチ専門店(そんなものが果たしてあるのか)に入り浸る。そこで知り合った何人かの人たちと親しくなる。ハートウォーミングだ。たぶん。でも、よくあるような展開にはならない。暖かくなる直前で退いていく。その距離感がいい。彼女は恋人を自分の部屋で殺してきたようだ。だから、部屋にはもう戻れないみたいだ。だが、その話も本当の事ではないのかもしれない。彼女のイメージの中でのお話でしかない。

 平田俊子さんが書く世界はなんだか身近すぎて、小説には見えない。ただの現実のスケッチのようなさりげなさだ。だが、こんな現実はない。たぶん。あったとしても誰も気にも留めないし、こんな話を誰も小説や映画にしようだなんて思いもしない。ましてや、TVにはならない。

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