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映画・演劇のレビュー

梶尾真治『メモリー・ラボにようこそ』

2010-04-24 23:08:31 | その他
 ちょっと甘すぎるな、と思った。でも、嫌いではない。中編2話からなる連作というのもなんだか中途半端だけれど、無理して3本にするのも決して好ましいとは思えないからこれでいいと思う。梶尾さんがこれで1冊にしようと思ったのだから、その選択に間違いはないだろう。

 メモリーラボ(記憶の移植)というあきらかにファンタジーの領域から、ドラマを設定してしまったのは、少しもったいないけど、それはファンタジーを純文学より、ワンランク下のものとして認識していると言うことではなく、いかに心情的にリアルなお話を作り上げるか、という次元でこの選択はいささか損をしているな、と思う、というレベルでのことだ。
作品世界自体がこんなにも作り物っぽくなってしまうと、小説に今一歩のめり込めないのも事実だ。

 『黄泉がえり』や『『この胸いっぱいの愛を』という映画化された作品と較べると、小粒な印象を与える。それはお話自体が設定を凌駕しないからだ。これでは思いつきの域を出ない。それはこれが長編でないことが大きく影響している。しかし、主人公を作者である梶尾さんの実年齢に近い60代に設定し、定年退職した後の人生にぽっかりと空いた大きな心の穴をどう埋めるか、という誰もがやがて体験するであろう問題から話をスタートさせたのは興味深い。老いの問題、人生の決着のつけかた、というテーマは悪くはない。しかも、こういうシビアな問題を扱う上でファンタジーというフィルターは優しい選択だとは思うのだが、その結果、話が最初にも書いたようにどうしても甘いものになるのは仕方ないことか。妻の死を受け入れられない男の話にスライドしていくのもなんだか騙された気分だ。ずっとひとりでただ仕事だけを生きがいにしてきた男の定年後の人生というテーマから完全に逸れて行くのだから。安易なラブストーリーに逃げられたのは納得しない。

 ストーリーの仕掛けにとらわれすぎて、ドラマの奥行きがないのも気になる。妻との記憶を消し去りたいと思うほど彼女を愛していた、という話はオチとしては単純すぎる。愛の物語としてすべてを括ってしまったら、楽だろうが、それだけでは語りきれないものがあるはずだ。絵空事に終わらないリアリティーがここに備わっていたなら、もう少し感動できたのだが。それは2話目の『おもいでが融ける前に』にも言えることだ。父親の不在を巡る話に付けたあのオチは、あまりに奇麗ごと過ぎる。まぁ、読み終えていい気分にさせるのは作家の仕事なのかもしれないが、それにしても甘い。


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