ホラーなのかと思わせるようなタイトルだが、並みのホラーよりも強烈で怖い。セクハラを描くのだが、善悪の別れ目が明確なのに、その境目は難しい。加害者被害者の立場や判断の違いで済まされない。だけど、相対するふたりの主人公を単純に善悪で色分けするのではなく、同じバランスで描いたのがいい。さらには被害者の女性からでも、加害者の男性からでもない立ち位置で描くのがいい。彼らを取り巻く様々な人々の視点からの描写がお話に奥行きだけではなく、広がりも与える。それぞれのエピソードが絡み合う。
彼女は男を7年後になって告発した。ずっと心に秘めたまま生きてきた。苦しかったけど、だれにも言えなかった。もちろん夫にも。この想いがわかってもらえるとは思えないからだ。だから孤独だった。 サブタイトルとして「あるセクシャルハラスメントの光景」と添えられる。『生皮』だけではさすがに誤解されるかもしれないと思ったのか。でも、このショッキングなタイトルがこの痛ましい小説の想いをストレートに伝える。
小説家養成講座のカリスマ講師(なんと芥川賞作家を2人も育てた)による受講生たちへのセクハラが描かれる。お互い了承したうえでの交際だと、男は思う。女はこれは小説を書くための先生からのレッスンなのだ、と思おうとする。そんなわけはないことは、わかりきっているのに。自分が受けた痛みを正当化するために。傷みを和らげるために自分の心に嘘をつく。先生は優しいから。先生は自分を特別だと思い、大切に思ってくれているから。そんな言い訳を自分にする。
あれから7年。6年前に結婚もした。30歳になった。夫は優しいし、好きだ。でも、夫を受け入れきれない。セックスへの嫌悪感がある。夫はそろそろ子どもが欲しいと思っている。でも彼女は子供ができたなら堕胎しようと思っている。なぜ、今更、と思う人もいるだろう。彼女にとっては、今なお、なのだ。
どうしてこんなことになったのか。そこは執拗には描かない。彼女の内面を突き詰めるのではなく、いくつもの視点からこの事実を描こうとする。そこから浮かび上がる普遍性を大事にした。問題は彼女だけのものではない。そして、加害者はあの講師だけではない。しかも、彼女が抱えることになった心と体の傷みは大きいし、他人にはわからない。だから、あえてそれをわかったふりして描くのではない。作者のそういう姿勢がいい。