岩橋さんが今回初めて家庭劇に挑戦する。もちろん彼のことである。ふつうのホームドラマなんかにはならない。では、そこで何をするのか。
彼が今回ここに仕掛けるのは、劇空間であることによって生じる内面の声が外に出てきてしまってそれをお互いに聞いてしまったりする、というスタイルだ。その結果、猫の会話なんてのも、人間との間に生じる。そんなことしたって、別に特別なことが生じるわけではないのだから、やめりゃあいいのに、それをおもしろがってどんどんやっている。なんだか、それって趣味で芝居を作っているって感じなのだが、そこがまた彼らしい。モノローグを、ドラマの中に(普通はモノローグはお話の進行のため、だったりするのに、それだけではなく)取り込んで話を作るという、なんだかどうでもいいような、そのくせややこしいことに挑むのだ。(なんか、上手く説明できない)
内の声と外の声が混在して、わけのわからないことになる。しかも、本来なら心に秘めて聞こえないはずの声を聞くことで、人間関係はほぐれていくのではなく、余計に話は混乱していくことになる。ただ、そんなことも含めて、やがては彼らのこじれた関係が少しはクリアになっていく、という定番の展開にはなるのだが。
何か新しいことが起きること、自分たちの関係性が変化していくこと。どこにでもある4人家族。でも、なんだかしっくりこない。そこに行方不明だった姉が帰ってくる。そこから起こる騒動、そんなものがこの芝居の中では描かれるのだが、そういうお話自体にはなんの意味もない。そうではなく、彼らがひとりひとり抱える問題が、この芝居の仕掛けによって、解決していくという図式を岩橋さんは面白がっている。
要するにこれはなんの変哲もない、ただのたわいもない家庭劇なのだ。そのありきたりなものをここまでありきたりなままに見せることは、それはそれで凄いことなのかもしれない。
彼が今回ここに仕掛けるのは、劇空間であることによって生じる内面の声が外に出てきてしまってそれをお互いに聞いてしまったりする、というスタイルだ。その結果、猫の会話なんてのも、人間との間に生じる。そんなことしたって、別に特別なことが生じるわけではないのだから、やめりゃあいいのに、それをおもしろがってどんどんやっている。なんだか、それって趣味で芝居を作っているって感じなのだが、そこがまた彼らしい。モノローグを、ドラマの中に(普通はモノローグはお話の進行のため、だったりするのに、それだけではなく)取り込んで話を作るという、なんだかどうでもいいような、そのくせややこしいことに挑むのだ。(なんか、上手く説明できない)
内の声と外の声が混在して、わけのわからないことになる。しかも、本来なら心に秘めて聞こえないはずの声を聞くことで、人間関係はほぐれていくのではなく、余計に話は混乱していくことになる。ただ、そんなことも含めて、やがては彼らのこじれた関係が少しはクリアになっていく、という定番の展開にはなるのだが。
何か新しいことが起きること、自分たちの関係性が変化していくこと。どこにでもある4人家族。でも、なんだかしっくりこない。そこに行方不明だった姉が帰ってくる。そこから起こる騒動、そんなものがこの芝居の中では描かれるのだが、そういうお話自体にはなんの意味もない。そうではなく、彼らがひとりひとり抱える問題が、この芝居の仕掛けによって、解決していくという図式を岩橋さんは面白がっている。
要するにこれはなんの変哲もない、ただのたわいもない家庭劇なのだ。そのありきたりなものをここまでありきたりなままに見せることは、それはそれで凄いことなのかもしれない。